荷物なんか、いらない。




あんたんとこの会社はスターが育ちにくいからねえ。



上司に連れて行ってもらったバーで、上司の知り合いからそう声をかけられて、ぼくは、はあ、そうなんですかと、あんまりよくわからずにあいづちをうった。

ぼくは新入社員で、自分はいつかスターになるのだとなんの根拠もなく思っていたし、しかしそうなるにはあまりにもたくさんのハードルが待ち受けていたけれど、だがまあそのうち何とかなると、やっぱりなんの根拠もなく思っていた。

だから、この人は何でそんな不吉な話をするのかよくわからなかったし、そんな話にただ黙ってうなずいてる上司も悔しくないのかと疑問に思いながら、たいして美味くもないピーナッツの殻を床に投げ捨てた。

そうするのが作法なのだと教えられたからだ。


仕事が面白かったかといえば、けっしてとびきり面白かったわけではない。

むしろ自分のやりたいと思っていたようなカッコいい仕事は別の同期の人間がたずさわっていて、ぼくはもっと後方の地味な役割を担う職場にいた。

地味なくせにやたら忙しくて、ぼくの段取りが悪いせいもあり、徹夜が続くことも多かった。

カッコいい仕事をしている同期とたまに会社で顔を合わせ、最近調子はどうだと聞いたら、もうしんどすぎる、昨日なんか終電だぜと言われて、こっちは電車なんかとっくになくなった時間まで地味な作業をしているのに、やりたいことやってて何がしんどいだ、とムカついていた。

仕事を教わっている先輩からはいつも怒られてばかりで、なぜ怒られるかといえば、ぼくが言うことを全然聞かなかったからだ(だいぶあとになってから、後輩が生意気すぎて困るといつもグチっていたと、別の先輩から教えてもらった)。


ぼくには理想があった。

こんな仕事をして、こんなふうに有名になりたい、というわかりやすくてバカバカしいもの。

いつもその理想が頭の中にどっしりと座りこんでいて、それとは関係のない仕事や正反対の仕事を否定していた。

周りの先輩たちはそんなややこしい新人の相手をするのはさぞかし面倒だったことだろう。

でも、みんな相談に乗ってくれたし、さまざまなアドバイスをくれた。

しかしぼくは理想をあきらめることはできなかった。


それから世の中は急激に変わっていった。

あっというまに、ぼくが理想としていた仕事のやりかたなんてまったく通用しない世界になった。

ぼくは進むべき道を見失ったし、たくさんの失敗を重ねた。

気がつくと、苦い経験以外に何も手にしていなかった。

自分はどうもスターにはなれなかったということを受け入れざるをえなくなった。

受け入れるにはかなりの時間がかかったけれど。


ところで不思議なことがある。

ぼくはブログを書いたり仕事とは全然関係のない人たちと出会って話をしたりしているうちに、急に気づいたのだ。

自分はとても自由なんだと。

いままでぼくは仕事とはこういうものだ、というよくわからない理想にしばられていた。

それは偉大な先輩たちが作ってきたすばらしいものだ。

しかしぼくの仕事は、ぼくが作ればよかったのだ。

誰かの理想を守ることなんて別の誰かにまかせて、もっとおもしろい未来を作ればよかったのだ。


あんたんとこの会社はスターが育ちにくいからねえ。

いつまでも業界とか世間の常識にとらわれていてはダメなんじゃないですか。

思いこみにとらわれず、もっと自由にやったらどうですか。

どうせ何も持ってないのだから。



また、新しい季節がやってくる。