一億総活躍の、方法。



足りていないのは、欲望だ。



いま一億人が活躍できていない理由を色々と挙げることはできる。

問題点を並べて、それらを解決する方法について考えることはできる。

だけど、もしそういった問題点をすべて解決することができたら、この国の誰もが活躍する世の中になるのだろうか。

そうはならない。

何もかもをお膳立てされたとしても、別に活躍したいと思っていない人は、やっぱり活躍しようとはしない。

すばらしい教材と超高級な学習机と何時間座っていても疲れない椅子と、そしておなかがすいたら何でも好きなものを食べられる環境がそろっていたって、すべての子どもがワクワクして勉強にとりかかるわけではないのと同じだ。


足りていないのは、欲望だ。


おいしいものが食べたい、たのしい遊びがしたい、好きな人といっしょにいたい、おもしろい人生を送りたい。

ぼくらの心の中にある、非常にわかりやすくて、ひどくバカバカしくて、そしてとてもパワフルな存在についてもっと注目しなきゃいけない。

もちろん欲望は悪さもする、ズルいことを考えるきっかけになることもあるし、それをコントロールする訓練をしていないと、自分の力に負けてしまってひどい目にあうこともある。

だからぼくらは色んな人たちから、遊びや学びや仕事や生活や、あるいは何にもしないことをとおして、欲望とつきあっていく方法について教わる。

そのうちにぼくらは気づく、欲望というものは育てることができることを。

一生遊んで暮らしていたい、と言っていた人が、仕事大好き人間になっていたり、一人でいる時間が何よりも好き、と言っていた人が、毎晩飲み歩くようになっていたり、逆にさみしがりやでいつも誰かといっしょにいたいと言っていた人が、孤独な作業に向き合うことに夢中になっていたり。

それはその人の本質が何か変化したわけではない。

心の中の欲望が、この世界の広さや深さに気づき、もっと自分の力を発揮できる場所を見つけ、自由に飛びまわることができる大きな翼や、深く掘り下げていける強力な爪をもった存在へと進化をとげただけにすぎない。

ぼくらは誰かがそういう状態になっているのを見て、あの人は活躍している、というのじゃないだろうか。


足りていないのは、欲望だ。


恥ずかしくて人に言いにくい欲望や、それが実は欲望だと本人にすら気づかれていない、そんなものたちの存在を受け入れる。

人の欲望を肯定し、それがどんどんたくましいものへと育つことを祝福する。

問題だとか必要だとかソーシャルグッドだとか世の中のためだとか、まあそういう言葉はひとまず置いておいて、おもしろいだとか、たのしいだとか、きもちいいだとか、そういうことを優先していきたい。

よく考えたら、一億人が総活躍していたら、ちょっとつまらない、自分のほうが他人よりも活躍したいじゃないか。

だけど自分ばっかり活躍するのも、それはそれでつまらないじゃないか。

だから今回は誰が活躍できるのかを本気で競争することだって、おもしろいじゃないか。


足りていないのは、欲望だ。

欲望の声に耳を傾ける態度だ。

素直に自分の欲望を認めていこう。



本当に自分の心の中からワクワクする気持ちがなくなってしまう前に。

こんな時代に、頼りにするべきもの。


何を頼りに進めばよいかわからないこの時代。



なんていう言い方を色んなところで目にするようになったけど、あれは一体なぜなのと妻に聞かれた。

言われてみれば、以前から言われていたような気もするし、最近またよく見かけるような気もする。

ただまあ自分のことを振り返るに、やっぱり何を頼りに進めばよいかは年々わからなくなっているようにも思う。

ぼくはどちらかというと自分の人生は自分で切り開くものだと思って生きてきたけれど、この数年は自分の力ではどうにもならないことばかりを経験し、一体何を指針にしていけばよいのかさっぱりわからなくなってしまった。

何よりぼくが耐えられなかったのは、誰でもそうだろうけれど、自分の意志以外の理由で、自分の考えや行動を変えさせられることだった。

時代が変わったから、ニーズが減ったから、お前の需要がなくなったから。

そうやって自分の意志ではないところで変わらざるをえなくなって、ぼくはすっかり前に進む力を失ってしまった。


しかし、それは間違っていたのだ。


変わらざるをえないから、という理由でこれまでの自分の考えを捨てたのは、やっぱり自分の意志なのだ。

問題は、この時代には頼りにするべきものがないことではなく、頼りにするべきものがないと思いこむことなのだ。


じゃあ何を頼りにすればいいのか。


ぼくはこの数年、それをずっと探していたのだけど、答えは実は簡単だった。

別に、何も頼りにしなければいいのだ。

何も頼りにせず、そのつど考えて、試していけばいい。

必要があれば先人から学べばいいし、必要がなくなればそれを忘れたらいい。

ぼくは自分が思っているよりもはるかに自由なのだ。


そういうことに気づくのにずいぶん時間がかかってしまった。


まあ、自由を満喫する時間はまだ少しは残されているようだけれども。

お祝いの、言葉。


このたびは、合格おめでとう。



長い長い冬が無事に終わりを迎えたことを、本当にうれしく思う。

ぼくは心からホッとしている。


そして、地獄へようこそ。


ここから先は答えがない。

取り組むべき問題も、手に入れるべき能力も、仲良くするべき人間も、まったくわからない中を、何の見通しもないまま進んでいかなきゃいけない。

正確に言えば、進んでいるかどうかもわからない。

ひょっとしたら君はある程度専門的な領域を学ぶのだからそんなに迷わないつもりでいるかもしれないが、残念ながらそんな簡単に世の中はできていない。

準備万端でいざ飛び立とうとするその瞬間に航空ルールが大きく変わることなんてことは、しょっちゅうだ。

うまくフライトできたとしても、天気は常に予想外の方向へと変わっていく。

そうだ、問題が深刻になるのは得てして旅立つまでよりも、旅立ったあとのほうだ。

いますぐパラシュートで脱出するべきか、それとも様子を見るべきか、まったく判断材料がない中で、決めるときは決めなきゃいけない。

運が良ければ君は「手遅れだった」という事態に、致命的なダメージを受けずに居合わせることができるだろう。

そしてそこで大きな学びを得ることができるだろう。

しかし運が悪ければ、それが手遅れだったと気づいても何の意味もないような、ひどい状況に陥ることもあるだろう。

そしてそのまま這い上がることのできない亡者たちの群れに引き込まれることもあるだろう。

まったくひどいもんだよ、この世の中は。

よくこんなひどい地獄にやってこようなんて思ったもんだ。


しかし君は思うだろう。


なんだ、これまでと同じじゃないか。


そうだ、それでいい。

これまでが孤独な地獄なら、これからはにぎやかな地獄だ。

同じ地獄ならみんなでワーワーやかましくしてるほうがまあちょっとは楽しめるだろう。

責め苦のアトラクションに身も心も消耗しきることがあったら、血の池地獄にでも浸かって、このくだらない人生についておたがいに語り合おうじゃないか。

そして、またボロボロになりながら這い上がっていこうじゃないか。


このたびは、合格、本当におめでとう。