ごはんがおいしい、理由。


すごくおいしいお店に行った。



そのお店はいつもぎゅうぎゅうの満員で、イラチの関西人も辛抱強く並んで待っている。

安くて、メニューは創意工夫があって、おいしくて、ちょっとだけ味付けは濃いのだけど、これがまたお酒に合う(ぼくは飲まないので関係ないが)。

かかっている音楽は軽快で、テンポが速くて、みんなのおしゃべりがどんどん進む、お酒も料理もどんどん進む。

お店の人たちは注文があるたびに大きな声を出しながら楽しそうに料理を作る。

どんどん食べて飲んで楽しんでいってくださいねと、笑顔で声をかけていく。

お客さんが食べて、飲んで、しゃべって、笑って、お店の人が作って、運んで、また注文を聞いて、かけ声を出して、それらがぐちゃぐちゃに混ざっていって、おいしいことと楽しいことと、あそぶことと働くことの区別がよくわからなくなってくる。

もともとは別々だったものが、お店の中でミックスされて、特別な味を生み出している。

これが創造なんだと、ぼくは場違いなことを思いながら、ワインで蒸されたばかりの貝をあちちあちちと殻からはがし口にほうりこむ。

さわやかな酸味とゆたかな甘みがたっぷり詰まった完熟トマトのスープを、フウフウ言いながら飲み干す。

にんにくとたまねぎの香りがたまらない濃厚なソースのたっぷりかかった、まだジュウジュウいってる分厚い肉にかぶりつく。

元気でスピード感のある音楽が、異質なものの組み合わせをどんどん加速させていく。

気軽に注文しやすい価格の安さが、お客さんを積極的にして、酒と料理を介した人と人のセッションをつぎつぎと発生させていく。

その光景を外から見ながら行列の作っている人々は、早くその素晴らしい時間がやってこないかと、今か今かと待っている。

イラチな関西人のくせに、辛抱強く並んで待っている。


そうなんだ。


消費することは、とてもたのしい。



ぼくはそこでまた場違いな発見をして、人知れず苦笑いをする。