会わずに言いたいことを伝える、良い方法。



在宅勤務、テレワーク、リモートワークなるものをしよう、という話になると、すぐに「本当に大事なことは会って話をしないとだめだ」と誰かが言い始めますよね。



何を隠そう、ぼく自身もそう言っていることが多いわけです。
実際に相手と会って、相手の表情を見て言葉にできずにいることを感じ取ったり、自分の熱量を相手に伝えたり、反対に相手から強い熱意を感じ取ったり、そうやって感情も含めたコミュニケーションをしっかりやらないと、大事なことは前に進まない。
そんなようなことを自分で言っている気がする。

だけどまあ、それはやっぱり間違っていると思うんですよね。
何が間違っているのかというと、人と人は直接会おうが、テレビ会議をしようが、メールのやりとりをしようが、理解しあうことなんてそもそも不可能なんです。
直接会ったところで、自分の思っていることを相手にすべて伝えられるわけじゃないし、本当の感情をすべて伝えられるわけじゃないし、まして相手の考えていることなんて完全にわかるわけがないんです。
だから、執拗に「会って話さないと」と言ってくる人がいると、ひょっとしてこの人は直接会ったとたんに拳で殴りつけてくるんじゃないかとか、はがいじめにされてイエスというまで放してもらえないんじゃないかとか、かえって不安になってくる。

まあたしかに、人によって得意とするコミュニケーション、伝達方法は違うでしょう。
おしゃべりは得意だけど文章は苦手、という人は多いし、人と人がわかりあうのに言葉はいらない、酒を酌み交わせばいい、という往年のウイスキーのキャッチコピーみたいな価値観を大事にしている人も多いでしょう。
だけど、まああまり「会って話さないと」ということにこだわりすぎず、少しは別の方法を探ってみてもいいのじゃないかな、と思うわけです。

それで、ぼくがおすすめするのは、長文のやりとりです。
長文、というともうそれだけでうわあ、と抵抗を感じる方もいらっしゃるかもしれません。
短い文章でも書くのが面倒なのに、長文なんて書けないよと。

でも、実は短い文章のほうが、書くのは難しいと思うんですよね。
短い文章の中で自分が言いたいことを表現するには、本当に自分が言いたいことは何なのかをじっくりと考えて、優先順位をつけて、そんなに大事じゃないことはどんどん捨てていく必要があって、だけどこの捨てる作業の中でほんとは大事な言葉とか、実は一番言いたかったホンネとかも間違って捨てちゃったりする。

そのへん長文は良いです。
これは不要かもなあと思うこともとりあえず言葉にしちゃって、あまり深く考えずにどんどん足していく。
足していくうちに自分の言いたいことが整理できちゃう場合もありますし、やっぱりよくわからない場合もある。
それもこれもまとめて、はいこれが今ぼくが思うことなんです、とそっくりそのまま相手に送りつけちゃう。

まあ面倒ですよ、長文読むのは。
だけど、本当にあなたの言いたいことを知りたい人ならちゃんと読んでくれます。
それで、ここは違うとかここは何を言ってるかわからないとか、あるいはあなたの書いた長文を前提としつつも全然違うテーマについて、なんらかの返事をくれます。
長文で。
で、あなたも相手の書いた、場合によっては非常に読みづらく、幸運な場合は非常に読みやすい、いずれにしたって読むのに多少の時間と手間がかかる長文と付き合います。
それでまだスッキリしない場合はまた長文でお返事を書きます。

何やってんだと思うでしょうけど、これ、みんながお酒飲みながらダラダラと無意味な話をして、なんとなくお互いにわかりあえた気になって、なんとなくいい感じの間柄になるプロセスと何も変わらないんです。
相手に何かを伝えようと努力して、相手もそれを理解しようと我慢して、なんとか埋まらないものを埋めようとして。
で、たぶんその何かは永遠に埋まらないんですけど、お互いに頑張ったという気持ちは分かち合える。
そしたら物事はちょっとは前に進むわけです。

めんどくさいと思うかもしれませんが、そのめんどくさいことをわざわざやる、そのことにしか意味はないように思います。
会って話すにせよ、長文でやりとりするにせよ、そこは変わらない。
会って話したほうが早い、という時はそのめんどくささを放棄して、無理矢理何かを相手に飲ませようとしているのかもしれません。

とまあダラダラと書きましたが、何か問題があれば、ぜひご意見ください。

できれば長文で。