平成最後の連休に、働いてみて。

 

 

 

 

平成最後の連休に出勤する羽目になった。

 

 

 

梅田は買い物客で混んでいたが、オフィス近隣はがらんとしていて、外国人観光客が何人か写真を撮ったり地図をみたりしている。

 

ぼくのような休日出勤の会社員らしき人はほとんどいなくて、しかし当然ながらコンビニやカフェや服屋さんは営業していて、みんな忙しくしている。

 

それで思い出したのだが、若い頃はしょっちゅう休日出勤していて、それは仕事が完全に趣味だったからであり、ぼくだけでなく同じように静かなオフィスで集中して作品を作りたい若手が黙々と何かに取り組んでいた。

 

先輩はよく休め休めと言うのだが、休んでまでやりたいことはなくて、恋人や友人と会うにしたってまあ一日あればよくて、それ以上のヒマな時間があると持て余してしまって、ただしいつも寝不足だったから、ちょっと横になったつもりで一日中寝てたりした。

 

昔から遊ぶという行為が苦手で、すぐにそこに意味を求めたり、競争意識を持ったりしてしまい、素直にみんなと何かを楽しむことができなかった。

 

一人で遊ぶのは楽だが、誰かと一緒に遊ぶには、相手も楽しいと思い続ける必要があって、そのためには自分が負けても相手を称え、あるいは勝っても相手の努力を認め、「持続可能な遊び」をデザインしていく必要がある。

 

どうもぼくはそれができなくて、受験や会社の仕事のような、外部から与えられる「持続可能な遊び」にプレイヤーとして乗っかる、ということしかしてこなかった。

 

そのせいで、いざ休日がやってくると一体何をしていいのか、わからなかったのだろう。

 

今でも休日を満足に過ごせているかは自信がなくて、休日出勤になるとイヤだなあと思う一方で、どこかホッとしている部分もある。

 

ぼくにとっての平成とは、他人から与えられた遊びに乗っかって、同じように乗っかってきた人たちと遊んでもらっていた、そんな30年間だったのだと思う。

 

ただまあ正確にいうとこの数年は、そのことに感謝しながらも、ちょっとずつ自分なりの道を探り始め、すっかり年を取ってしまってはいるけれども、次の一歩を踏み出している。

 

もちろん不安だらけで、自信もちょっと足りなくて、若い頃にもっとこうしておけばよかったなとか思うこともたくさんあるし、情けないなあと感じることばかりだが、それでも新しい一歩が、新しい時代と一緒に始まっていく感じは、とても晴れやかだ。

 

昭和生まれの人は全員、平成という時代を生き抜いたことになる、と妻から聞いて、それはなんだか気持ちが楽になるとらえ方だなあと思った。

 

無事に平成を生き抜くことができた。

 

いまはそのことを喜ぼう。

 

そして、ともに同じ時代を支えあって生きてきた人たち全員に、ありがとうと伝えたい。

 

本当にありがとうございました。

 

新しい時代もよろしくお願いいたします。

 

氷河期世代は、ゴミ箱へ。

 

 

 

ぼくは、ずっと就職氷河期世代とかロストジェネレーションとか人生を設計しなおさなきゃどうのこうの世代とか言われてきて、要は報われない世代なんだといつのまにか自分もそう思うようになっていた。

 

 

 

たしかに、そういう風に言われると、仕事でうまくいかなかったり、生活が苦しかったりしても、そうだ、自分は報われない世代だから仕方ないんだ、全部そのせいなんだ、と思えばずいぶん楽になる。

 

だけど、もうそういうのは要らないな、と最近は思う。

 

たしかに自分の人生がイマイチなのは世代のせいなのもあるかもしれないが、それは自分の力ではどうにもならない話だし、ちょっとでもマシな人生にするためにできることは他に色々ある。

 

自分が可哀想だと思っている時間があったら、できることをひとつでも試してみるほうがいい。

 

お互いに辛いよねとか大変だよねと心を通い合わせることは必要だと思うけど、それを恨み節にまで成長させちゃうと、自分の行動力が落ちてしまうように思う。

 

新しい行動を起こすには、もっと気軽で、ウキウキとしていて、結果がどう出ようとも、それを知るのも楽しみでたまらない、という気分が大事だと思う。

 

さあ次は何をしようかな、といつもソワソワしている感じ。

 

重々しい理屈やドロドロとした恨みにとらわれていては、身動きが取れない。

 

だから、自分が可哀想な世代だなんて話は、クルクルと丸めて、ポイッとゴミ箱に捨ててしまいたい。

 

 

 

まあ年齢から逃れることはできないから、同世代の人とはお互いに、体には気をつけようね、とは思うけれども。

ぼくの、弱点。


suumo.jp

SUUMOタウンに寄稿をした。

とても楽しく書けた。

普段は、寄稿の依頼をいただいたら、ぼくがざっと企画を複数案考えて編集の方にメールで送り、どれがよさそうかの意見をいただいて決め、そこから原稿を書き始めてまたメールでやりとりをする、という感じなのだが、今回は京都で打ち合わせすることもできますよ、と言っていただき、ちょうど最近は京都に行く用事がいくつかあったので、たまには打ち合わせしてみるか!と思って、お言葉に甘えて直接お会いして話をさせていただいた(お茶もいただきました)。

気軽に京都に顔を出せるのも、大阪のいいところである。

実は、「大阪」について書いてくださいと依頼をいただいたときに、さっそく、ぼく自身が、あの記事に書いたような「おおっ、大阪ですね!つまり私にコテコテの大阪人による記事を期待しているのですね!」という例の反応をしてしまい、ベッタベタの大阪賛歌を書きそうになっていたのだが、打ち合わせの中で、編集部のみなさんはぼくの話をうんうんと粘り強く聞いてくださり、頑なになった気持ちを解きほぐしてくれた。

普段は、人のアイデアを引き出すのが今のぼくの仕事なので、ここは急いで自分の意見を言うのではなく相手に考えてもらうためにちょっと待とう、とか、視野を広げるために別の質問をしてみよう、とかばかり考えているのだが、京都での打ち合わせでは、ぼくは一人の書き手として、普段感じていることを素直に言葉にし、自由にアイデアを広げ、羽を伸ばすことができて、とても楽しかった。

この10年ぐらいで、ちょっと自分の性格は変わったかもしれないなあと思う。

元々、ぼくは一人の時間が大好きで、誰にも邪魔されることなく一人でぼーっとする時間を楽しむために、それ以外の時は他のやりたくないことを我慢してやりきる、というような感覚があった気がする。

その根本はあまり変わっていないけれども、他人と一緒に何かを考えたり、一緒に作業をしたりすることも、はっきり言ってしまえば、好きになってきたような気がするのである。

ただ、その「一緒に何かをする」のが楽しいなと思うときとは、たとえば以下のような感じ。

・自分が大事にしてもらえる

・同じぐらい相手を大事にしたいと思える

・お互いにお互いの行動を強制したり、意識を変えることを強要したりしない

・それぞれが違う価値観を持っていることを前提とする

・それぞれが違う目標を持っていることも前提とする

・ただその場で「一緒に何かをする」という点だけが共通している

・終わった後の飲み会を前提としない(その時に行きたい人が行けばいい)

・どうせやるなら楽しもうとする

・それがずっと続くというよりも有限な時間だという共通認識がある

・その中で何か新しい発見を持って帰れそうな予感がある

きっと他にもあるだろうけれど、そんなことを思った。

しつこいが、ぼくは元々とても個人的な人間で、自分の快適ゾーンに人が入ってくることに敏感だし、他人にリズムを狂わされるのも嫌いだし、人の考えに無理に合わせるのもすごく苦手だ。

内向きで、閉鎖的で、保守的な大阪人なのである。

だけど、世の中には一人では味わえない楽しさがたくさんあることを知ってしまったせいで、ちょっとだけ変わってきたのだろう。

この数年は、むしろ自分から人に会いに行くことが増えたし、そうやって作られた縁のほうが途切れずに続いていたりする。

それで思うのは、さんざん大阪について書いたあとで恐縮だが、今という時代は会いたい人と簡単に会えるようになってきたわけで、どこに住むかというのはそれほど重要ではなくなってくるはずなのだ。

なのに、むしろどこに住むかという問題にはより関心が集まっている気がするし、住む場所が自分の志向性や主義主張の表現手段となる傾向も強くなっている気がする。

「なんとなくそこに住んでる」ことが許されない雰囲気すら出てきてるかもしれない。

全ての行動に理由が必要で、選択に根拠が不可欠で、住む場所に主義主張が求められる、息苦しい時代なのだ。

だけど、ぼくはそういった世の中の流れは決して悪いものではないように思う。

どれだけやりたいことがあっても機会を手に入れられなかった時代に比べれば、今の人にはたくさんのチャンスがあり、無数の選択肢がある。

やりたいことがあるのにそれができなくて我慢し続けていたぼくからすれば、今はずっと自由で、可能性にあふれている。

そんな中で、ぼくが大阪に住み続けている理由は色々あるけれど、そのひとつずつを振り返ってみると、絶対に大阪でなければならないわけでもなかったように思う。

あまりに長くこの地に住むことで、思考停止になっているかもしれない。

そう考えると大阪というのはぼくにとってはなくてはならない個性の一つだが、同時に弱点にもなっているかもしれない。

だけど、制約がアイデアを生む、というのも事実で、この地に住んでいて、できないことがあるからこそ、それを乗り越えようとするパワーが出てくることもある。

欲しいものを手に入れるために新たな場所へと移ることも一つの方法だが、それを自分で作り出すことも、もう一つの選択肢としてある。

そんなわけで、大阪に住み続けているあいだは、その魅力を充分に味わいながら、しかしまだここにないものを少しでも生み出していきたい。

ないものは、作ればいいのだ。