しばらく、呪いをかけられていました。

今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」





ここのところずっとブログを書くことが減っていて、理由は簡単で「書くことを惜しんでいた」のである。



ある知人が、ぼくに呪いをかけた。

長い文章を書く用事がある時は、ブログを書かないほうがいい、というわけのわからない呪いである。

今考えれば、彼が書いた文章を読んだこともないし、ぼくのように職業として文章を書いていた経験もない人間の言葉をなぜ信じてしまったのかよくわからないが、しかしまあそういう呪いは普段はなんともないのだが、いざ自分が追いつめられたときに、じんわりと心の暗い部分に滲みはじめてくるのである。


最近は、とにかく仕事が忙しくて、それに加えていくつか文章を書いていて、しかしあまりうまく進んでいなくて、ああイライラするなあ、ブログ書きたいなあという衝動には何度も駆られていた。

そこで、例の呪いが発動するのである。

長い文章を書く用事がある時は、ブログを書かないほうがいい、と。

たしかに、ここでブログを書いてスッキリしてしまうと、書きたい欲求が解消されてしまって、また書き物が進まなくなるのではないか、と不安になってくる。

それで、なるべくブログを書かないように、書かないようにと注意していた。

それでも、どうしても我慢できずに電車の中で書きはじめてしまうことが何度もあり、その書き出しの死骸が下書きフォルダにいっぱい眠っているのである。



さて、言い訳はここまでである。

結局、ぼくは逃げていただけだ。

ここでブログを書いてしまうと自分の文章力が弱まってしまうとか、書く時間がなくなってしまうとか、書きたい気持ちがなくなってしまうとか、そう思うことで、書くことに自信を失いそうになるのを止めたかっただけだ。

本当に書くことが好きなら、用事で書こうが、ブログで書こうが、何で書こうが書き足りない、それぐらい執着していてよいのだ。

書きたいことならいくらでもある。

子育てと仕事の両立のこととか。

働き方改革がどうのこうのとかいうけどそれって外野から言われて変えるってどうなのとか。

結局ワークライフバランスを崩して攻めている人のほうが成功している人多いってどうなのとか。

インターネットで文句ばかり言っている人って現実でなんらかの解決策を講じてるのかしらとか。

映画やマンガって人がすぐ死ぬけどそんなに人って人が死ぬのを見たいのかしらとか。

大阪や関西についてのことをもっと考えてみたいなとか。

こんなにグローバル競争がひどくなっているのに日本語にこだわるのってどうなのとか。

おまけにぼくなんて英語どころから大阪弁しかしゃべれないんだけどとか。

SDGsとかいうけど課題解決の視点だけじゃ人なんて動かないんじゃないのとか。

もっと人間の欲望とか執着とかドロドロしたやつをまっすぐに見つめていきたいなあとか。

そういや最近のはてなブログってどうよとか。

そしてブログとは、ブログってさ、ブログなんてさ、というブログ談義とか。



ぼくがブログを書きたくなるのはどういうときかといえば、はっきりいって、だいたいいつだって何か書きたいのである。

書きたいくせに、いや今はそういうタイミングじゃないからとか、他にやるべきことがあるからとか、そうやって言い訳しながら暮らしている。

だけど、もうそういうのはやめよう。

理屈ではなく、ぼくはただ何かを書き続けてやろう。

親の仇か何かのように、これでもか、これでもかと書き続けてやろうと思う。




呪いを打ち破ることができるのは、それをはるかに超える強烈な怨念だからである。




以上は、id:fujiponさんのこの記事を読んで。

それでも、僕なりにブログを書くことによって、人生少しマシになったような気はしています。 どこに引っ越しても、転勤・転職しても、ブログはいつも、ここにある。

「どんなときにブログを書きたくなるのか?」という問いに対して、僕がたどり着いた答え - いつか電池がきれるまで