勝敗というのは、ゲームのルールの1つにすぎない。

 

 

 

 

 

 

僕はもともと、競争というものが嫌いではなかった。

子供の頃は徒競争が大好きで、

一番になれるかどうかの瀬戸際で

先頭の子供を後ろから思いきり追い抜く瞬間が

たまらなく気持ちよかった。

 

また、受験勉強も嫌いではなかった。

自分の努力がテストの順位として表れるのは

すごくわかりやすく、やればやるほど

結果が出るのは楽しかった。

 

広告クリエイターになってからも

自分の企画が周りの同僚よりも高く評価されることや

大きな賞をもらえることが、明確な勝負の基準としてあった。

それに向かって、みんな必死に企画をした。

 

また、営業マンや販売の仕事なら

売上だったり利益だったりというリアルな数字が

非常にわかりやすい勝負の基準としてあるし

経営者であれば、その数字がそのまま

自分の会社が市場の中で

勝ち残れるかどうかという勝負の基準になる。

 

しかし僕は最近この「勝敗」というものに対して

急激に関心を失いつつある。

 

 

きっかけはいくつもあるのだけど

理由ははっきりしている。

 

「勝つ」ということは、本当のゴールではないからだ。

 

徒競争をするのは、

それで子供たちがやる気を出して

本気で走れるからであり

その結果、運動会が盛り上がったり

子供たちの体と心が発達することが目的だったりする。

 

受験だって、本来は

子供たちが競い合って勉強することで

教育水準の高い(そして使いやすい)働き手を

生みだすことが目的だったりする。

 

だけど、「みんなで丈夫な体を作ろう」とか

「みんなで賢くなろう」とか言っても

そうなるわけがないので

「勝負」というわかりやすいゲームのルールを

持ち込んで、機能させているだけにすぎない。

 

もちろん、このルールをうまく活用することで

色んな課題がクリアしやすくなる。

 

ただし、それがゲームのルールでしかないことを

ちゃんと理解していれば、である。

 

 

勝負というものの本質が、

ものごとの効率を上げるための

手段の1つだとわかれば

実は、すごく人生が楽になる。

 

例えば、自分の仕事が、

いくら努力してもうまくいかなかったり

ライバルに勝てなかったりするなら、

それはずっと「負け」がこんでるゲームに参加し続けている状態だ。

 

ここで僕たちは「ひたすら勝負を続ける」という選択肢以外に

なんと3つもオプションを持っていることに気づく。

 

1:他の「勝てる」ルールがあるゲームへと移る

(つまり、別の仕事をする)

2:「勝ち負け」のルールを遵守しない。

(例えば、その仕事を楽しんでいるかどうかとか、

早く家に帰れているかどうかとか、自分なりの別の評価基準で行動する)

3:ゲームのルール自体を変更する

(勝ち負け以上に評価されるべき要素を持ち出す)

 

そう考えれば、すごく気持ちが楽になるし

視野がぐっと広がるので、余裕が出てくる。

 

さて、それでは「勝ち負け」以外に

うまく機能するゲームのルールなんてあるのか?

について書こうと思うが、すこし長くなってきたので

また次の機会にしようと思う。