僕の人生を変えた、たったの数カ月のことについて。

 

 

 

 

 

 

 

今日は、僕の人生に最も大きな変化をもたらした

しかし、とてもささやかな出来事について。

 

 

もともと僕はそれほど賢い人間ではないのだが

中学時代に、運よく、良い先生たちとの出会いがあり

突貫工事のような詰め込み学習をして

奇跡的に、進学高校に入学できた。

 

しかし、そこの生徒たちは、東京大学京都大学に合格できなければ

卒業してからも、後生バカにされるという具合で

まあとにかく、もともと賢い上に努力をする。

あっというまに僕は彼らのレベルについていけなくなって

すぐに落ちこぼれた。

 

それからは本当にみじめだった。

なんとか浪人の末に大学生にはなれたが

その大学にも全くなじむことができず

アルバイトにばかり精を出して留年した。

恋人もいない。友人もほとんどいない。

何にも楽しい事なんてなかった。

 

 

2年生で留年が決定してから

僕はしばらく旅に出たり

自分の部屋にひきこもったりを繰り返していたが

ある日、さすがにこれじゃダメだと思い立ち

大学の図書館に出かけた。

大嫌いな大学だったが、図書館だけは

広くて、人が少なくて、静かで、好きな場所だった。

 

僕は図書館の蔵書の中から「職業案内」という古びた

分厚い本を見つけ出してきて、「あ」行から順番に読んだ。

そして、なぜか僕は「か」行にあった

「こ:コピーライター」という職業に強い興味を覚えた。

今思うに、その本はずいぶん前のコピーライターブームの時に

編纂されたものなのだろう、

コピーライターという職業がいかに貴重な仕事であり

いかにたくさんの能力を必要とするのかということについて

しかし非常に事務的な口調で説明されていた。

 

その後もちゃんと「わ」行まで読んでいれば

僕はもっとまともな仕事を選んでいたのかもしれない。

 

だが、その時の僕には、そこまでの冷静さも持続力もなかった。

すぐにコピーライターになるための方法を探し、

「宣伝会議コピーライター講座」を見つけ、受講しはじめた。

 

 

講座はたまらなく面白かった。

コピーを考える楽しさや、それを発表したり

先生にほめてもらえる喜びというものは

これまでひたすら情報を脳にインプットするという

勉強方法しか知らなかった僕にとっては新鮮そのものだった。

 

だけど、この講座が直接的に僕の人生を変えたのではない。

ここで出会った先生の一人が言ったこと。

 

「コピーライターになりたければ

まずは一年に100冊、本を読みなさい」

 

僕は本当にバカなので、彼の言ったことを真に受けて

さっそくその日の夜から100冊を目標に本を読み始めた。

どの本から読めばいいかなんてわからない。

ただなんとなく、同じようなジャンルの本ばかり読むのは

よくないのではと思ったので、ミステリの次は純文学、

その次はエッセイや自伝、などとわざと変則的に本を選んだ。

 

僕はもともと本を読むのは嫌いじゃなかったが

そこまで積極的に読書をしたのは初めてだった。

つまらない本もたくさんあったが、

それがつまらないのだとわかったのは

かなりの数を読んだ後の話だ。

量がなければ、つまらないかどうかの基準さえわからない。

そういう、自分の中で何かを判断できるようなものが

生まれるまでは、とにかくどんな本でも真剣に読んだ。

 

 

自分の中である変化が起こった瞬間は

はっきりと覚えている。

当時はまだ全家庭に普及していなかった

インターネットをしようと

久しぶりに大学に出かけた日。

情報センターの共有端末を使う順番を待っているあいだ。

ライ麦畑でつかまえて』を読んでいる途中だった。

急に、自分が今いる世界は、とても不安定で

何を信じていいのかわからない、妙な場所なのではないかと

胸騒ぎがしはじめたのだ。

 

それからも、僕は夢中で本を読みあさった。

読んでいるうちに、何か答えが見つかるんじゃないかと淡い期待をしながら。

だけど、読めば読むほど、胸騒ぎはひどくなるばかりだった。

今、この場所に存在している自分自身というものが

一体何なのか、なぜ生きているのか、どんどんわからなくなる。

とてもオーバーにいうなら

突如としてアイデンティティを失ったのだ。

 

僕はそんな心の出血を止めようと必死にもがいた。

 

そして、その手段として選んだのが、書くことだった。

 

 

父親からのおさがりの古いPowerBookを使って

ひたすら色んなことを書きなぐった。

自分が好きなことについて。

大事にしている瞬間について。

あるいは、妄想していることについて。

 

そのうち、それをちゃんとした構造を持ったものとして

把握したいという欲求が生まれてきた。

そこで僕は自分自身のそういう心の動き自体を

物語として書くことを思いついて、小説を書くことにした。

 

仕上がりはひどいもので、構成も話の起伏も何もなく

他人が読むには堪えないものだった。

だが、心の中からわきあがるよくわからない不安と疑問に対して

自分自身で答えようとする行為自体は、とても面白かった。

 

留年大学生という特権を最大に活かして

僕はわけのわからない物語を、書いて、書いて、書きまくった。

そして、ある日、書くことがなくなった。

 

 

それから急に僕の創作意欲は止まった。

と同時に、それまでの得体のしれない不安たちは

就職だったり将来の人生設計だったりという

現実的な課題への意識へと変換されていった。

 

そして僕は突如として大学の講義に出席しはじめ

みんなよりも1年遅れでの就職活動にも打ち込むようになった。

そして運よく仕事にありついた。

 

僕は今でも思う。

一体、あの時のあれは、何だったのだろう。

そして、当時の不安や疑問たちは、本当に解決されたのだろうか。

 

今の仕事の中で、僕は色んなことを表現する。

色んな人々の人生についての想像をする。

そして、自分の幸せについても考える。

 

それでも思うのだ。

僕は何か得体のしれないものに対して

あれほど無闇に、そして果敢に挑んだことは

それから一度もない。

 

そして、あの数カ月があったからこそ

自分が理解できないものを目の前にしても

なんとかそいつを受け入れようとしたり

乗り越えたりしようと思える。

 

まあ、たいした出来事ではない。

とても個人的で、とてもささやかな。

しかし、僕にとっては、決定的な変化だった。