今日は、僕の人生に最も大きな変化をもたらした
しかし、とてもささやかな出来事について。
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もともと僕はそれほど賢い人間ではないのだが
中学時代に、運よく、良い先生たちとの出会いがあり
突貫工事のような詰め込み学習をして
奇跡的に、進学高校に入学できた。
しかし、そこの生徒たちは、東京大学か京都大学に合格できなければ
卒業してからも、後生バカにされるという具合で
まあとにかく、もともと賢い上に努力をする。
あっというまに僕は彼らのレベルについていけなくなって
すぐに落ちこぼれた。
それからは本当にみじめだった。
なんとか浪人の末に大学生にはなれたが
その大学にも全くなじむことができず
アルバイトにばかり精を出して留年した。
恋人もいない。友人もほとんどいない。
何にも楽しい事なんてなかった。
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2年生で留年が決定してから
僕はしばらく旅に出たり
自分の部屋にひきこもったりを繰り返していたが
ある日、さすがにこれじゃダメだと思い立ち
大学の図書館に出かけた。
大嫌いな大学だったが、図書館だけは
広くて、人が少なくて、静かで、好きな場所だった。
僕は図書館の蔵書の中から「職業案内」という古びた
分厚い本を見つけ出してきて、「あ」行から順番に読んだ。
そして、なぜか僕は「か」行にあった
「こ:コピーライター」という職業に強い興味を覚えた。
今思うに、その本はずいぶん前のコピーライターブームの時に
編纂されたものなのだろう、
コピーライターという職業がいかに貴重な仕事であり
いかにたくさんの能力を必要とするのかということについて
しかし非常に事務的な口調で説明されていた。
その後もちゃんと「わ」行まで読んでいれば
僕はもっとまともな仕事を選んでいたのかもしれない。
だが、その時の僕には、そこまでの冷静さも持続力もなかった。
すぐにコピーライターになるための方法を探し、
「宣伝会議コピーライター講座」を見つけ、受講しはじめた。
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講座はたまらなく面白かった。
コピーを考える楽しさや、それを発表したり
先生にほめてもらえる喜びというものは
これまでひたすら情報を脳にインプットするという
勉強方法しか知らなかった僕にとっては新鮮そのものだった。
だけど、この講座が直接的に僕の人生を変えたのではない。
ここで出会った先生の一人が言ったこと。
「コピーライターになりたければ
まずは一年に100冊、本を読みなさい」
僕は本当にバカなので、彼の言ったことを真に受けて
さっそくその日の夜から100冊を目標に本を読み始めた。
どの本から読めばいいかなんてわからない。
ただなんとなく、同じようなジャンルの本ばかり読むのは
よくないのではと思ったので、ミステリの次は純文学、
その次はエッセイや自伝、などとわざと変則的に本を選んだ。
僕はもともと本を読むのは嫌いじゃなかったが
そこまで積極的に読書をしたのは初めてだった。
つまらない本もたくさんあったが、
それがつまらないのだとわかったのは
かなりの数を読んだ後の話だ。
量がなければ、つまらないかどうかの基準さえわからない。
そういう、自分の中で何かを判断できるようなものが
生まれるまでは、とにかくどんな本でも真剣に読んだ。
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自分の中である変化が起こった瞬間は
はっきりと覚えている。
当時はまだ全家庭に普及していなかった
インターネットをしようと
久しぶりに大学に出かけた日。
情報センターの共有端末を使う順番を待っているあいだ。
『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいる途中だった。
急に、自分が今いる世界は、とても不安定で
何を信じていいのかわからない、妙な場所なのではないかと
胸騒ぎがしはじめたのだ。
それからも、僕は夢中で本を読みあさった。
読んでいるうちに、何か答えが見つかるんじゃないかと淡い期待をしながら。
だけど、読めば読むほど、胸騒ぎはひどくなるばかりだった。
今、この場所に存在している自分自身というものが
一体何なのか、なぜ生きているのか、どんどんわからなくなる。
とてもオーバーにいうなら
突如としてアイデンティティを失ったのだ。
僕はそんな心の出血を止めようと必死にもがいた。
そして、その手段として選んだのが、書くことだった。
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父親からのおさがりの古いPowerBookを使って
ひたすら色んなことを書きなぐった。
自分が好きなことについて。
大事にしている瞬間について。
あるいは、妄想していることについて。
そのうち、それをちゃんとした構造を持ったものとして
把握したいという欲求が生まれてきた。
そこで僕は自分自身のそういう心の動き自体を
物語として書くことを思いついて、小説を書くことにした。
仕上がりはひどいもので、構成も話の起伏も何もなく
他人が読むには堪えないものだった。
だが、心の中からわきあがるよくわからない不安と疑問に対して
自分自身で答えようとする行為自体は、とても面白かった。
留年大学生という特権を最大に活かして
僕はわけのわからない物語を、書いて、書いて、書きまくった。
そして、ある日、書くことがなくなった。
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それから急に僕の創作意欲は止まった。
と同時に、それまでの得体のしれない不安たちは
就職だったり将来の人生設計だったりという
現実的な課題への意識へと変換されていった。
そして僕は突如として大学の講義に出席しはじめ
みんなよりも1年遅れでの就職活動にも打ち込むようになった。
そして運よく仕事にありついた。
僕は今でも思う。
一体、あの時のあれは、何だったのだろう。
そして、当時の不安や疑問たちは、本当に解決されたのだろうか。
今の仕事の中で、僕は色んなことを表現する。
色んな人々の人生についての想像をする。
そして、自分の幸せについても考える。
それでも思うのだ。
僕は何か得体のしれないものに対して
あれほど無闇に、そして果敢に挑んだことは
それから一度もない。
そして、あの数カ月があったからこそ
自分が理解できないものを目の前にしても
なんとかそいつを受け入れようとしたり
乗り越えたりしようと思える。
まあ、たいした出来事ではない。
とても個人的で、とてもささやかな。
しかし、僕にとっては、決定的な変化だった。