旅は、本当に心を広くしてくれるのか?

 

 

 

 

 

Travel broadens the mind.

旅は、心を広くしてくれる。

 

中学生の頃に、塾で習ったフレーズ。

 

妙に印象に残っている言葉だ。

 

その頃から僕はいわゆる文系脳で

数学とか理科とかがとても苦手だった。

 

おまけに僕の通っていた塾では

重要視されていたのは数学と理科であり

国語はあまり塾では重視されていなかった。

点数の差が開きにくい科目なので

努力に値しないということだったと思う。

 

だから唯一自分の気持ちが楽になるのは、英語の時間だった。

わけのわからない外国の言語でも

血の通っていない数字やら記号やらの羅列よりも

まだ親近感を持てたのである。

数字にも記号にも血が通っていることに

気づいたのは、それよりも、ずっと後の話だ。

 

 

ところで、本当に、旅は心を広くしてくれるのだろうか。

 

自分の知らない場所を訪れ、知らない人と出会い、

知らない文化に触れることで、自分の心が広くなるというのは

まあ、頭で考えれば正論である。

しかし、正直に言えば、僕はこの言葉を

実感したことがほとんどなかった。

 

僕はすごく臆病な人間なので、

国内旅行をしても、海外旅行をしても

自分の置かれている環境との共通点ばかり探してしまう。

ああ、日本人なら結局思うことは一緒なんだなあとか

どこの国でもこういう考えは同じなんだなあとか

そういうところばかりを探して安心しようとするので

全然、心に変化なんて起きない。

自分が旅先でやっているのは

ただその場所に適応しようとする作業だけなのだ。

 

 

それでも、最近は、僕はやっぱり思うのだ。

 

たしかに旅は、心を広くしてくれるかもしれない。

 

ただし、その旅とは、荷物をぎゅうぎゅう詰めて

付箋のいっぱい貼られたガイドブックを片手に

目的地に出かけるあの旅行とは少し違う。

 

それは、突然に始まる。

あまりに急な展開なので、僕らはずっと大切にしている

わずかな手荷物しか持っていくことができない。

人によれば、何も持っていないこともあるだろう。

それでも旅はもう、始まっている。

後戻りはできない。

 

おそらく初めは、僕らは自分がどこにいるのか

そしてどこへ向かっているのかさえわからない。

誰と出会うのか、そこに危険はないのか、必要なものは何なのか、

何もかもがわからないまま、旅はどんどん進んでいく。

 

それでも人間というものは順応性がある生き物だから

だんだんこの旅にも慣れてきて

外の風景が自分と逆に流れていくのを

のんびりと楽しむ余裕も出てきたりする。

そのうち、それにも飽きてきて、誰かが持ってきた

トランプで大富豪でも始めちゃったりする。

 

そんな遊びにも退屈してきた頃に、

急に嵐がやってくる。

一緒に旅をしていた仲間たちが巻きこまれて

どこかへと、連れ去られて行ってしまう。

僕らにできることは、彼らの無事を祈ることと

自分たちの生き延びる方法を探すことだけ。

 

ようやく嵐が過ぎ去ったあとに

目の前に広がる風景を見て、呆然とする。

道が、何にもないじゃないか。

 

だけど仕方がない。

とりあえず、進んでみよう。

みんな無言で歩いていく。

途中でいなくなる連中もいる。

居心地のいい場所を見つけて定住するやつもいる。

これまでの道を引き返してみるという人も出てくる。

 

そうやってちょっとずつ別れを重ねてゆき、

気がつくと、一人ぼっちになっている。

でも、どうしようもないから黙って歩いてく。

あたりはとても静かで、さびしい。

どこかで子供の笑う声が聞こえた気がして

振り返ると、冷たい風がぴゅうと吹いているだけ。

何にもない、空虚な世界。

そろそろ旅をやめようかとも思う。

でも、その方法もわからないから、やっぱり歩き続ける。

 

そのうち、ちょっと離れた場所を

同じように押し黙って歩いている人に気づく。

試しに手を振ってみたら、向こうも小さく手を振り返す。

よかった、一人じゃなかった。

僕らは言葉にならない、小さなため息をもらして笑いあう。

 

 

 

心を広くするために、世界一周旅行をする必要なんてない。

自分の人生という、ささやかな、そして素晴らしい旅を

続けていけたらそれでいい。

 

Travel broadens the mind.