世界は、続いてほしいと思う。

 

 

 

まったくもってクソみたいな世の中だと思う。

 

 

 

いくら働いても生活にゆとりは生まれないし、どれだけ人に頭下げてもエラくはなれないし、なんとかして競争に生き残っても容赦なくまた新しいデスゲームがはじまるだけだ。

 

疲れた体を休ませて、ちょっとだけ呼吸をしようとブログを書いたら、ひどいコメントに叩かれて、機嫌が悪くなって、こんな世界なんてほんとに終わってるなと思うことばかりだ。

 

 

でもまあそれでもこの世は続いてほしいなあとは思っている。

 

たくさんのクソみたいなことと同じくらい、素敵なことがあるからだ。

 

朝のパンが焼けるいい匂い。

子どもとしりとりしながら保育園に迎う道。

時間どおりにガタンゴトンとやってきてくれる電車に乗って、通勤中の会社員という役割がある自分。

 

学生の頃は何でもない自分が嫌で嫌で、早く働きたいと思っていた。

 

働いてみたらやっぱり働くのは楽しくて、まあそれからたくさんひどい目にもあったけど、今も働くことは大好きだ。

 

とはいえ仕事をすると疲れる。

疲れたら家に帰る。

早く帰れた日は家族と食事をして、早く食べ終われとか宿題はやったのかとか早く風呂に入れとかギャーギャー言いながら子どもたちを寝かしつけて、ゴミを集めて洗濯機を回して、妻の仕事の話を聞いてるうちに眠くなってきて、ちょっとだけ本を読んで、子どもの寝顔を見ながら自分も眠る。

 

そこには何の輝かしい功績もないし誰かにめちゃくちゃにほめられる機会もないが、そんなつまらん、凡庸で、中途半端で、進歩のない、退屈な、人生終わっちゃった感が満載の一日をすごせることを、ありがたいと思う。

 

楽しいことはずっとは続かない。

 

それをぼくは小さい頃から経験的に知っていたような気がする。

 

だけど、楽しいと苦しいとうれしいと悲しいとワクワクと退屈とが行ったり来たりするこのクソみたいな世の中は、やっぱりずっと続いてほしいと思うし、それをこれから世界にやってくる人たちにも存分に味わってほしいと思う。

 

 

さあ今日も人生終わっちゃった感が満載の一日をめいいっぱい生きるとするか。

インターネットのくらしを、もっとたのしむために。



最近は、すっかりブログ同士で言及しあうことも減って、はてなブックマークを使っている人たちとのやりとりもご無沙汰になってしまっている。



インターネットぐらしの何が楽しいかって、そうやって、ほんの一瞬のすれ違いの中で、お互いの考えを交換しあえることだと思う。

もちろんその中には誤解も、誤配も、たくさんあって、それがまた変な形に広がってしまっていって困ったりすることもある。

それでも、そんなやりとりの中で「あ、そうだったのか!」と何か新しい気づきを得る瞬間があって、それはすごく楽しいことなのである。

ぜひとも多くの方に、その喜びを味わってほしいと思う。


さて、ぼくの書いた記事について、はてなブックマークで色々とコメントがあった。
inujin.hatenablog.com

相変わらずみんなインターネット生活を楽しんでいるようで何よりなのだが、どうもちゃんと楽しめているのか心配な方もいらっしゃるので、ぼくなりに見つけたインターネットの楽しみ方を確認しながら、少しやりとりをしてみたいなあと思う。


相手に最低限の敬意を払うと、たのしくなる

インターネットを泳いでいると、見知らぬ相手に話しかけたくなる。

しかしそのときは、できるかぎりその相手に敬意を払うことをおすすめする。

相手に敬意を払うことで、その人が本当に言いたいことや、あるいは言葉にはしていないけれども、その人が人生の中で獲得してきた面白い経験に気づける可能性が増えるからだ。

そうやって一度耳を傾けてみて、やっぱりこの人の言っていることは理解できない、あるいは賛同できない、となったら、丁寧に話しかけてみるといい。

もしはてなのサービスを使っているなら、相手の記事を引用したり、idコールをすれば、書き手にもちゃんと届く。

ちゃんと返事が来るかどうかはわからないけれども、見知らぬ相手なのだからそれは仕方ないし、うまく返事がもらえたら、そこからが交流のはじまりだったりする。

たとえばこんな感じである。

id:grdgsさん、早速のコメントをいただけたのはうれしいです。
ただ、見も知らぬ人間に「こいつ」と話しかけるのは失礼だと感じました。
他のブックマークコメントを拝見したところ、色んな場所でずいぶん汚い言葉をお使いになっていますが、大変失礼ながら、ちゃんとインターネット生活をお楽しみになられていますでしょうか。
コメントをされるときは、まだ見ぬ書き手の顔を想像しつつ、こんなこと書いたらクスッと笑うかも、とか、こんなこと書いたら新しい発見につながるかも、とか、色々と考えながらコメントしたほうが楽しいし、気分もいい、なんて思うのですがいかがでしょうか。
今のようなコメントばかり書いていると、いつまで経ってもあなたに敬意を持ってくれる人が現れず、いつまでもスッキリできないと思います。
ぜひ、迷う頃があればまたコメントをください。

id:sheaさん、ご指摘されていることはとても大事なことだと思うのですが、あまりに口が悪くて心配しています。
お忙しい中で、言いたいことを短いコメントにまとめるのはとても大変だと思いますので、うまく表現できない場合はグッと我慢して、またの機会にあらためて書く、ということも手だと思いますよ。
ぜひ試してみてください。


自分のアイデアを出してみると、たのしくなる

相手の文章を読んで、ああ何か違うなあと思った場合、違うと思う点を強調するのもいいが、それはあまり書き手には響かないような気がする。

違う、という考えを持っていることはわかったが、じゃあどうすればいいのか、という自分のアイデアまで書くと、書き手も納得するかもしれないし、何より、それをきっかけとして、自分自身が新しいことを思いつくかもしれない。

id:zuleta42さん、内容が薄くて浅いのだとして、ではどうすればもっと濃くて深い議論ができると思いますか。
ぜひとも良いアイデアをください。
また、あなたはなぜ失笑されるのが怖いのでしょうか、ぜひその理由についても教えてください。
育児で大事なのは、周りに失笑されたり、バカにされたりすることを気にせず、目の前で次々と起こる謎のアクシデントに対してひたすら自分のできることをやっていく、そういう態度だと思いますが、いかが思われますでしょうか。
ぜひ情報をおまちしております。


お互いの文章を読み合うと、たのしくなる

インターネットでの交流の醍醐味は、文章や表現だけを通してお互いの考えていることを伝えあい、へえこんなことを考えている人がいるんだ、ということを知ることである。

リアルだと、相手の見た目とか、話し方とか、あるいはその場の状況とか、色んなことが原因で、その人を深く知る機会というのはなかなか得られないものだ。

相手の書いたものや表現したものをじっくりと読んで、そうか、こういう経緯があったからこの人はこういう発言をしたのか、と気づくときはまるでミステリ小説を読んでいるときのように面白いし、まあたいしたことは書かれていなかったとしても、また別のインターネットですれちがったときに知った顔があると、それだけでうれしくなってしまったりもするのだ。

id:ht_sさん、他の記事も読んでくださったのですね、ありがとうございます。
自分に酔っている・・・というご感想については悲しかったけど、そうかもしれません(自分が大好きなもので)。
ぜひあなたが書いている記事があれば教えてください、ぼくも自分のおすすめ記事を紹介しますよ、読み合いっこしましょう。
きっとお互いに、面白い発見があるはずです。


続けていると、たのしくなる

そんな感じで、自分のペースでやりとりを続けていくと、そのうち知った顔も増えていき、面白い発見も増えていき、インターネットでの暮らしが楽しくなっていく。

大切なのは、あんまり深く意味を求めず、大きな成果を急がず、とにかく自分のペースで書いたり、表現したりし続けること。

そのうち、その時間の積み重ねが自分にとって大切なものになっていく。

ああ、あのときにこんなケンカをしたよなあ、とか、あのときに調子に乗って空回りしたよなあ、とか、そんな苦い思い出も含めて、大切なものになっていく。

だからぜひ、多くの方に、この広大なインターネットの中で、とびきり居心地のよい、大切な場所を見つけてほしいと思う。


そして、ぜひ気づいてほしい。


人は、そうやって時間をかけて作ってきた大切な場所を、汚い言葉で台無しにしたり、知らないフリをして唾を吐きかけたりすることはできない、ということを。

男が育児をしていて、困ること。




ぼくはそれなりに育児に参加している。



男が育児をするのは大変なのかといえば、そこは男だから大変だ、ということはあまりない。

たしかにおっぱいは出ないが、だったらミルクをあげればいいし、乳幼児健診はお母さんだらけだが、子どものことに集中していれば周りは気にならないし、ママ友と公園で楽しくおしゃべりしたりはできないが、周りの子どもたちとも一緒にボール遊びをするぐらいはできる。

そのうち、ちょっとした料理ぐらいならできるようになるし、算数の宿題を見ているうちに数字がちょっと苦手でなくなってきたりする。

そうやって、子どもだけでなく、ぼく自身ができることが少しずつ増えていく感じはとても楽しくて、おまけに家族の役にも立ててうれしいものだ。

育児は楽しい。

そしてうれしい。


男が育児をしていてぶつかる問題は、育児そのものではないように思う。

問題は、自分が育児に取り組んでいるあいだに、仕事のライバルたちがどんどん先へと進んでいって、取返しもないぐらい差をつけられてしまうのでは、という不安、焦り、恐怖だ。

仕事のライバル、というとちょっと具体的すぎるが、何も隣に座っている同じ年齢ぐらいでちょっと上のポジションの憎いあいつ、という意味だけではない。

ああこうやって自分が仕事以外のことに時間を費やしているあいだにも、世の中の仕事のできる人はもっと難度の高い仕事に取り組んだりエライ人と飲みに行ったりしてどんどんステップアップしているのだろうな、週末には社会人大学に通ったり勉強会に参加したりしてどんどん賢くなっているのだろうな、というぼんやりとした想像をしてしまうし、実際にそうなのである。

そういうことを知らされるのが怖いのでFacebookを見るのが辛くなってくる。

Facebookには「休日返上でやってきたプロジェクトがついに日の目を見たぜ!」「超忙しいけど無理して週末にめっちゃ勉強して熱い仲間たちもできたぜ!」というような投稿たちがキラキラと輝いていて、ウンチとヨダレと公園の土にまみれた身にはあまりにまぶしくて直視できないのである。

いやそんなもん、平日に取り返せばいいんだ、と思えるときはいいのだが、あまり仕事がうまく行ってないときや、自信がなくなっているときだとひどくメンタルを削られるのだ。


育児をしていると、何もしないでじっと時間が過ぎるのを待たないといけない場面がある。

やたらと泣く子を抱き上げて寝るのをじっと待っているあいだに。

トイレでなかなかウンチが出ないのをじっと待っているあいだに。

お風呂の用意ができても服を脱ごうとしないのをじっと待っているあいだに。

ライバルたちは新しい仕事に取り組み、新しい学びや気づきを得て、新しい仲間と出会い、どんどん出世していく。

多くの男性が、育児や家事にもっと参加しなくては、と思いながらもブレーキがかかってしまうのも、これが原因じゃないだろうか。


それじゃ、この問題を乗り越えるにはどうすればいいのか。

ぼくがこのことに何年も悩み続けてきて出した結論は、もう他の人と同じゴールを目指すのをやめよう、ということである。

よく胸に手を当てて考えてみたら、遅くまで働いてエライ人とお酒を飲んで週末には勉強やネットワーキングに精を出して突き進んでいくゴール、というのは、もともとぼくが目指しているゴールでもなんでもない。

ぼくのゴールは、いかにして好きなことを仕事にするか、あるいはいかにして仕事を好きなことに変えていくか、いつだってこれなのだ。

育児なんてのは究極であって、わが子と一緒に暮らすのも楽しめないのに、果たしてどうやって他のことを楽しむのか、という話である。

そう思うと急に気持ちが楽になって、時間が過ぎていくことがちょっと怖くなくなったし、目の前の用事をちょっとでも楽しくしていこうと頭が働くようになってきた。


とはいえ、根本的な悩みは解消されたとは思わない。

結局、ぼくらは育児をしていようがしていなかろうが、いつだって競争にさらされ、生き残るために必死にならなければいけない。

そんな中で、働きながら子どもを育てていくのは、やっぱり競争においてはハンデであり、個人の努力だけではなんともならない。

社会自体が、もしこれからも子どもが生まれ続けることを望むなら、主婦が子育てと家事をして夫が外で働く、というベースに頼るのを止めなければいけないだろう。

子どもがいる人もいない人も、みんなで支えあっていく世の中にしていかなければいけないだろう。


ぼくは、これからもこの国に、新しい命たちが生まれ続けることを望んでいる。

色んなイヤなことはあるけれど、やっぱり生きることは楽しい。

最高だ。


だから、これからも、そう思えるような世の中であり続けることを望んでいる。