インターネットのくらしを、もっとたのしむために。



最近は、すっかりブログ同士で言及しあうことも減って、はてなブックマークを使っている人たちとのやりとりもご無沙汰になってしまっている。



インターネットぐらしの何が楽しいかって、そうやって、ほんの一瞬のすれ違いの中で、お互いの考えを交換しあえることだと思う。

もちろんその中には誤解も、誤配も、たくさんあって、それがまた変な形に広がってしまっていって困ったりすることもある。

それでも、そんなやりとりの中で「あ、そうだったのか!」と何か新しい気づきを得る瞬間があって、それはすごく楽しいことなのである。

ぜひとも多くの方に、その喜びを味わってほしいと思う。


さて、ぼくの書いた記事について、はてなブックマークで色々とコメントがあった。
inujin.hatenablog.com

相変わらずみんなインターネット生活を楽しんでいるようで何よりなのだが、どうもちゃんと楽しめているのか心配な方もいらっしゃるので、ぼくなりに見つけたインターネットの楽しみ方を確認しながら、少しやりとりをしてみたいなあと思う。


相手に最低限の敬意を払うと、たのしくなる

インターネットを泳いでいると、見知らぬ相手に話しかけたくなる。

しかしそのときは、できるかぎりその相手に敬意を払うことをおすすめする。

相手に敬意を払うことで、その人が本当に言いたいことや、あるいは言葉にはしていないけれども、その人が人生の中で獲得してきた面白い経験に気づける可能性が増えるからだ。

そうやって一度耳を傾けてみて、やっぱりこの人の言っていることは理解できない、あるいは賛同できない、となったら、丁寧に話しかけてみるといい。

もしはてなのサービスを使っているなら、相手の記事を引用したり、idコールをすれば、書き手にもちゃんと届く。

ちゃんと返事が来るかどうかはわからないけれども、見知らぬ相手なのだからそれは仕方ないし、うまく返事がもらえたら、そこからが交流のはじまりだったりする。

たとえばこんな感じである。

id:grdgsさん、早速のコメントをいただけたのはうれしいです。
ただ、見も知らぬ人間に「こいつ」と話しかけるのは失礼だと感じました。
他のブックマークコメントを拝見したところ、色んな場所でずいぶん汚い言葉をお使いになっていますが、大変失礼ながら、ちゃんとインターネット生活をお楽しみになられていますでしょうか。
コメントをされるときは、まだ見ぬ書き手の顔を想像しつつ、こんなこと書いたらクスッと笑うかも、とか、こんなこと書いたら新しい発見につながるかも、とか、色々と考えながらコメントしたほうが楽しいし、気分もいい、なんて思うのですがいかがでしょうか。
今のようなコメントばかり書いていると、いつまで経ってもあなたに敬意を持ってくれる人が現れず、いつまでもスッキリできないと思います。
ぜひ、迷う頃があればまたコメントをください。

id:sheaさん、ご指摘されていることはとても大事なことだと思うのですが、あまりに口が悪くて心配しています。
お忙しい中で、言いたいことを短いコメントにまとめるのはとても大変だと思いますので、うまく表現できない場合はグッと我慢して、またの機会にあらためて書く、ということも手だと思いますよ。
ぜひ試してみてください。


自分のアイデアを出してみると、たのしくなる

相手の文章を読んで、ああ何か違うなあと思った場合、違うと思う点を強調するのもいいが、それはあまり書き手には響かないような気がする。

違う、という考えを持っていることはわかったが、じゃあどうすればいいのか、という自分のアイデアまで書くと、書き手も納得するかもしれないし、何より、それをきっかけとして、自分自身が新しいことを思いつくかもしれない。

id:zuleta42さん、内容が薄くて浅いのだとして、ではどうすればもっと濃くて深い議論ができると思いますか。
ぜひとも良いアイデアをください。
また、あなたはなぜ失笑されるのが怖いのでしょうか、ぜひその理由についても教えてください。
育児で大事なのは、周りに失笑されたり、バカにされたりすることを気にせず、目の前で次々と起こる謎のアクシデントに対してひたすら自分のできることをやっていく、そういう態度だと思いますが、いかが思われますでしょうか。
ぜひ情報をおまちしております。


お互いの文章を読み合うと、たのしくなる

インターネットでの交流の醍醐味は、文章や表現だけを通してお互いの考えていることを伝えあい、へえこんなことを考えている人がいるんだ、ということを知ることである。

リアルだと、相手の見た目とか、話し方とか、あるいはその場の状況とか、色んなことが原因で、その人を深く知る機会というのはなかなか得られないものだ。

相手の書いたものや表現したものをじっくりと読んで、そうか、こういう経緯があったからこの人はこういう発言をしたのか、と気づくときはまるでミステリ小説を読んでいるときのように面白いし、まあたいしたことは書かれていなかったとしても、また別のインターネットですれちがったときに知った顔があると、それだけでうれしくなってしまったりもするのだ。

id:ht_sさん、他の記事も読んでくださったのですね、ありがとうございます。
自分に酔っている・・・というご感想については悲しかったけど、そうかもしれません(自分が大好きなもので)。
ぜひあなたが書いている記事があれば教えてください、ぼくも自分のおすすめ記事を紹介しますよ、読み合いっこしましょう。
きっとお互いに、面白い発見があるはずです。


続けていると、たのしくなる

そんな感じで、自分のペースでやりとりを続けていくと、そのうち知った顔も増えていき、面白い発見も増えていき、インターネットでの暮らしが楽しくなっていく。

大切なのは、あんまり深く意味を求めず、大きな成果を急がず、とにかく自分のペースで書いたり、表現したりし続けること。

そのうち、その時間の積み重ねが自分にとって大切なものになっていく。

ああ、あのときにこんなケンカをしたよなあ、とか、あのときに調子に乗って空回りしたよなあ、とか、そんな苦い思い出も含めて、大切なものになっていく。

だからぜひ、多くの方に、この広大なインターネットの中で、とびきり居心地のよい、大切な場所を見つけてほしいと思う。


そして、ぜひ気づいてほしい。


人は、そうやって時間をかけて作ってきた大切な場所を、汚い言葉で台無しにしたり、知らないフリをして唾を吐きかけたりすることはできない、ということを。