大学生の時は、貯金なんて一切してなかった。
バイト代は、バイトが終わったあとに飲みに行って大部分は使ってしまった。
バイト仲間にハーフの先輩がいて、俺はハーフだからといってハーフアンドハーフのビールばかり飲む。
お前はハーフじゃないから本来は飲む権利はないが、俺が特別に許してやると言われたので、ぼくもいつもハーフアンドハーフのビールを飲んでいた。
先輩はぼくをかわいがってくれていて、色んなことを教えてくれたが、インターネットのエチケットのことをネチケットというのだとメールごしに教えてもらったことしか覚えていない。
先輩はいつも微妙に多めに飲み代を払ってくれたので、いつも微妙にお金は残った。
それで本とCDを買ったら全部で、夏休みは少し収入が多かったが、そのぶんで服を買ったら、だいたい何も残らなかった。
ぼくは大学生の頃に、大学生じゃないとできないような経験を何もしなかったことをいまだに後悔していて、もっとたくさん勉強をしておけばよかったとか、もっと色んな遊びをしたらよかったとか、そういうことを思うだけでモヤモヤとした気持ちになってくるので、キラキラした大学生活を送ってる若者を見かけるといまだにイラっとする。
ぼくはつまらないプライドがとても高く、通っている大学は本来自分が希望していた大学ではないという理由だけで同じ大学の人間とはほとんど交流を持たなかったので、大学生活の中で新しい刺激は全然与えられなかった。
大学には行かず、神戸のセレクトショップに行き、そこで店のオーナーと音楽の話をした。
オーナーはずっと年上だったが、ぼくはお客としてお店に行くから、気を使わなくてよいのだった。
彼はニューヨークで服を買い付けてきた時の話や古いレコードの話をしてくれた。
自分も本はよく読む、と言ってから、しかし自分の好きな作家の名前を忘れ、その場で誰かに電話をかけはじめ、俺の好きな作家って誰やったっけ、と聞いた。
聞かれたほうも突然の質問だったので答えるのに時間がかかっていたが、ようやく中上健次ということがわかり、ぼくはその人を知らなかった。
オーナーは相手に何か知らないことがあっても決してバカにしないので、知らないと正直に答えたが、案の定バカにはされなかった。
もちろんそれはぼくがお客だからである。
面白いからぜひ読むといい、と言われたので帰りに書店で『枯木灘』を買って読んだが、いつもオーナーが教えてくれるような爽やかな音楽とは全く違う内容で、暴力的な表現がある割には退屈な文章だった。
途中で止めたくなるのを我慢して懸命に読み終えたが、どんな話だったのかほとんど覚えていない。
一体、オーナーはこの小説をなぜ面白いと思ったのかよくわからなかったが、あの頃は本も音楽も、自分が良いと思うかどうかよりも、良いと言われたものを読んで、聴いて、その良さを理解しようと努力することが一番大事だと思っていた。
むしろ自分が心地よいとか面白いとか思わないものと出会うことのほうが重要で、それを滋養のある食べ物のようにしっかりと噛み砕いて飲み込み吸収できるかどうか、そのことに関心があった。
『枯木灘』は結局噛み砕くこともできなかったが、バイト先の先輩でアメリカ文学を研究している人がいて、その人からはポール・オースターを読むように強くすすめられた。
ポール・オースターの小説はとても読みやすかったので、書店で買える本は全部買って読んだ。
彼の小説はとてもにぎやかなのに、とても孤独で、読み終えた時に得体の知れない不安が広がるのが特徴だった。
この得体の知れない不安というのはそれよりも少し前からぼくの中で少しずつ大きくなってきていて、それをより大きくするものを、どうもぼくは良い本だとか面白い本だとか思うようだった。
しかし読めば読むほど不安になるようなものを果たして良いものとして本当に評価してよいのかどうかは、よくわからなかった。
自分は生きることに対して漠然とした不安を抱えている、と自分で思うことは、実はとても楽なことだった。
ぼくは実際は自分の将来に対して、全く漠然としてはいない、具体的な不安を感じていた。
やりたいと思うこともなく、やりたいことを見つける方法もわからなかった。
大学には全然行かず、将来どんな仕事をするかも考えず、好きな女の子もいなかった。
生きることが不安だと思っておけば、なんとなく自分は高尚な悩みを抱え、強大な敵を相手にしているような気持ちになれるので、都合がよかったのだ。
しかし、いつまでも、そういうよくわからないものを相手にしているわけにはいかないということも、わかっていた。
音楽のほうはそんなに複雑ではなくて、まず他人から良いと言われた洋曲のCDを順に買って、それを何度も再生して聴き込み、これが良い曲なのだということを刷り込めばよかった。
曲はどれだけ古い曲でもよく、むしろ古いが名曲だと言われているもののほうが重要だった。
古い洋曲を聴くのに飽きてくると、古い邦曲を聴く。
新譜を聴くのはあまり良いことではなかった。
その音楽が良いか悪いかを判断できないあいだは、新譜を聴くのはただの気晴らしにすぎず、聴きやすくて受けのいい流行の曲ばかり聴いていると「ヨゴレ」として馬鹿にされるのであった。
そうやって良い曲だと言われているものを何度も聴き続けていると、街やテレビで流れている音楽もこれまでとは違ったように聴こえてくる。
違ったように聴こえてくるが、それはSMAPの曲はどれもとても良い曲だなとか、槇原敬之は本当に素敵な曲を作るなあとかそういう感想なので、まあたいした成果ではない。
ドラゴンアッシュの曲はどれもつまらないと感じた。
どれだけ自分がお金と時間を費やしても、それぐらいのことしか変化がなかったので次第に音楽に対する関心が薄くなってきて、それよりも自分の将来のことのほうが心配になってきた。
良いと言われる音楽を聴いて、良いと言われる本を読んだ結果、得ることができたのはいずれも自分の現実に対する、このままで大丈夫なのだろうかという具体的な不安であり、ぼくはもっと高尚な成果を期待していただけに、がっかりした。
年の暮れに、いつものように神戸のセレクトショップに行ったときに、ぼくがとても尊敬している人が偶然来ていた。
その人は音楽にもダンスにも精通していて、とてもマニアックな曲ばかりが入ったかっこいいミックステープを聴かせてくれるのだけど、その時の彼はとてもうれしそうな顔をして、今年一番良かったのは宇多田ヒカルとMISIAで、こういう音楽が日本に現れたことを本当にうれしく思うと、それは本当にうれしそうに話していた。
ぼくは宇多田ヒカルとMISIAをとてもいいなあと思っていたので、とてもうれしかった。
その人はそれからしばらくしてデザインの修行をするとか言って外国に旅立っていってしまったが、ぼくは日本で就職するために大学に通い直すことにして、単位が全然足りなかったので夜間の授業も出たりして無理やり数を集めることに腐心した。
大学を卒業して、就職してからも本はそれなりに読み続けている。
やっぱり良い本を読むと、相変わらず不安な気持ちになるし、その不安というのは、日々の生活における不安とはまったく別物なので、結果的には楽な気持ちになる。
それは別にビジネス書を読もうと、小説を読もうと同じなので、そういう意味ではどうもビジネス書というのは、本当は実生活には何の役にも立たないものなのだろう。
音楽はあまり聴かなくなった。
聴かなくなったが、車のラジオや、子どものプール教室の待合室で流れている音楽を聴くのは好きだ。
子供番組で使われている曲もいい曲がたくさんある。
宇多田ヒカルのCDは、小遣いが余れば買いたい。
お酒は飲めなくなってしまったので、よくわからない。
ドラゴンアッシュの曲は、今でもどれもつまらないと感じる。