女性向けの商品に関わる仕事をしていたことがあった。
とても楽しい仕事だったのだけど、異動があって、担当を外れた。
それでぼくの代わりに別の男性2人が担当になったら、得意先からクレームがあったらしい。
「なんで急に男の人ばっかりが担当になったんですか!」
どうもぼくは男として数えられていなかったようだ。
昔からどうも言動がなよなよしてるらしく、新入社員時代にも女性の先輩から「女っぽくて気持ちわるい」とかカゲで言われてた。
そりゃあ、男らしい男には憧れるが、無理なものは無理なので、しかたない。
若い頃はそれでも男らしくなりたいと体を鍛えたり、わざと低い声を出してみたり、なるべく笑わないようにしてみたりしたが、そんな表面的な話ではないのだろう。
最近は、むしろ男らしくないことが役に立つ場面もあるし、まあ「男らしさ」なんてなくても、それなりに楽しく暮らしている。
男らしさだけじゃなく、「らしさ」にとらわれて、本当の自分「らしさ」を発揮できない場面というのは色々とある。
あなたがリーダーですよ、と言われると勝手に自分の中のリーダー「らしさ」を気にしすぎて空回りして失敗したり、家族に対して変に父親「らしさ」を出そうとして無理したせいでイライラしたり、とかく「らしさ」なんてものを意識してうまくいった経験はほとんどない。
自分が思う「らしさ」が、実はよそから借りてきた単なる空想にすぎないからである。
リーダーとは強い統率力と素早い判断力を持ちみんなから尊敬されるものである、なんてのは状況によってはまったく通用しない。
父親だって、夫だって、なんだってそうだ。
その人なりの答えが本当はあって、それを見つけ出すためにみんな四苦八苦してるわけである。
最近はようやくそういう当たり前のことに気づきはじめて、別に男らしくなくてもいいや、貫禄なんかなくてもいいや、できることを自由にやろう、と思う。
しかし、いまだに、いかにも思慮深そうな顔をして「そういうふるまいは◯◯らしくない」と忠告してくる人がいる。
まあはっきり言って、こういう話に耳を傾ける必要はない。
人生は短い。
他人が勝手に決めた「らしさ」なんかにとらわれて生きるような時間なんて、もう残されてないのだから。