ポジティブな言葉を使う、理由。



基本的に、この世の中におもしろいことなんて、何もない。


毎日の生活が安定していれば、それを退屈な暮らしだと思うようになるし、変化に富んだ毎日を暮らしていれば、それを心が落ち着かなくて疲れる生活だと思うようになる。

ないものねだりこそ人類のたぐいまれなる生存能力なのだけれど、それにしても、ぼくらの毎日はひどく退屈か、ひどくあわただしいか、あるいはその両方で、何もおもしろいことなんてない。

そんな状況で、急に誰かが「いま、たのしいよね!」「おもしろいよね!」「がんばるってきもちいいよね!」
などと言い出したら、こいつはいったい何をしようとしてるのかと警戒するに決まっている。


だけど、ぼくはできるだけ前向きな言葉を使うようにしている。

それは、このつまらない現実をぶっこわしたいと、いつも思っているからだ。

ところが世の中というのは簡単にはできていなくて、つまらない現実に対して、「つまらないから、ぶっこわしたい」という言葉を使っても、なかなかぶっこわれないものだ。

なぜなら、ネガティブな言葉というものは、現状を肯定する言葉だからだ。

退屈なものを退屈だ、腹が立つことを腹が立つと、ただ肯定しているにすぎない。

だからぼくは普段から否定的な言葉を使いがちな人を見ると、ああこの人は現状に満足してるんだなと思ってしまう。

繰り返すが、この世の中に面白いことなんてひとつもない。

「たのしい」「おもしろい」「きもちいい」「チャレンジする」などの前向きな言葉は、そんなつまらない現実を否定してぶっこわす役割を持っているのだ。

だからこそ、うまく使いたい。

いつもポジティブな言葉ばかり発していてもあまり意味はなくて、このつまらない現実をぶっこわせそうなわずかな光が見えたときに、ここぞとばかりに鋭く撃ちこむのだ。

そのような言葉はやがて行動に変わる。

そして行動は現実を変える。

つまらない現実を、ちょっとだけつまらなくない現実へと、変える。


だから、もし現状に十分に満足していて、何も変わらないでほしいと思っている人がいたら、ポジティブな発言をする人間たちに警戒したほうがよい。

彼らはあなたの大切な日常、しかし他人から見ればとんでもなく退屈な毎日を、ぶっこわそうと狙っているかもしれないから。