ニュースの読み解き方を、知っていますか。

 

 

 

ニュースを見ると、不安になることばかりだ。

 

 

あきらかに悪いニュースのほうがまだマシで、それよりも、どこそこの企業が黒字に転換したとか、どこかの国の大臣が辞職したとかいった話のほうが厄介だ。

いま目の前の、子どもをそろそろプールに連れて行かなくちゃと思っている自分と直接関係のないニュースを聞かされると、ううんこれはいったいどういう意味のあるニュースで、見る人に何を伝えたいのだろう、と考えてしまい、そうやって考えてもよくわからない自分にうんざりする。

ニュースは残酷だ。

これは今のあなたに関係ない、あるいはすごく関係がある、そういった判断はしてくれない。

わかる人は活用できるし、わからない人はせっかくの機会を逃す。

なのに誰もその方法は教えてくれない。

 

思うに、ぼくの不安というのは、世の中がこれからどうなるのかとか会社はどこへ向かうのかとか家族は大丈夫なのかとか、そういったことが原因というよりも、そのための情報を正確に集められているか、そしてちゃんと対応できているかといったことへの自信のなさから来ている気がする。

ニュースを見ていると、はたしてこれは何が言いたいのだろう?という情報に大量に触れるので、自分の無知や理解力の低さをまざまざと感じさせられ、すっかり不安になるのだ。

 

 

じゃあどうすればいいのか、なんてことはさっぱりわからない。

ただ思うのは、いつでもどんなものにもアンテナを張って、大事な情報を逃してはならぬとずっと集中している余裕が自分にあるだろうか、ということだ。

はるか昔、就職活動をしていた頃、早々と銀行に内定を決めた同級生が、就職活動に必要なものは情報だ、と言っていた。

ぼくはそれを聞いてもまったくピンとこなくて、そのせいで余計に印象的だったのでおぼえている。

就職活動というのはちゃんと要項を読めばそこで何が必要とされているか書かれているし、何社かに1回は筆記試験や面接を受ける機会も得られるし、そこで自分の人となりや経験や志望動機を話すことができる。

いったいそれ以外に、どんな情報が存在するのか、よくわからなかった。

だけどまあ後になって振り返るに、就職活動を開始するよりもずっと前から、ぼくはコピーライターの勉強を始めていて、そこで広告クリエイターたちの話を聞き、すでにクリエイターとして働き出している人たちとも肩を並べて課題に取り組んでいたりした。

だから面接での志望動機も自分の言葉で話すことができたし、これまでやってきたことも、気になっている世の中の出来事も、それに関連づけて考え、伝えることができた。

それを情報、と言ってしまえるなら、なるほど情報はやはり重要なのだろう。

 

 

世の中には、ニュースや人から聞いた話や本に書かれたことをすぐに理解し、大事な情報を読み解いて、自分のものにできるかしこい人たちがいる。

一方でぼくはあっちこっちと手探りで動き回り、色んなところで頭を打ちながらほんの一握りの何かをつかむ、そういうことしかできない。

若い頃でさえそうだったのだから、歳を取ってから急に変われるはずもなく、相変わらずぼくはおかしな方向に進んでは頭を打ち、失敗ばかりを繰り返して生きている。

そんな人間には、世の中にあふれている膨大な情報なんて何の役にも立たないのである。

必要なのは、いま自分が頭を打っている現実をどうするかであり、それに関してできるだけ色んな位置から自分の状況を見て、どうにもこうにもならないと思いこんでいる状態から離れて、ひょっとしたらこんなことができないかとか、別の考え方はないだろうかとか、試行錯誤することなのだろう。

もちろんその時には色んな情報も必要だけれども、それは無闇にぼくの不安を駆り立てるような乱暴なニュースではなくて、古ぼけて倉庫の隅っこでほこりをかぶって眠っているような種類の何かかもしれない。

 

自分にとって必要な情報は、自分にとってだけ価値があることが多い。

だから誰も教えてくれない。

それはひっそりと息をひそめ、誰かに必要とされるかどうかなど意にも介さず、じっと時が過ぎるのを待っている。

むしろぼくはそれを見つけるためだけに生きているような気さえする。

 

だからまあ、ニュースを見るのはほどほどにして、あちこち体をぶつけ、色んなところをすりむきながら、他人にとってはガラクタのような宝探しを楽しみたい。