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犬だって言いたいことがあるのだ。

ものごとをひとつ先に進めるヒントについて考えています

そろそろ、生活をがんばらなくちゃいけない。



生活が、苦手だ。



洗濯物をキレイに手早く、たためない。

りんごの皮をむくのが、めんどくさい。

おつかいに行くと、頼まれてもいない余計なものは買ってくるくせに、肝心の紙おむつを忘れてきたりする。

それで、ぼくはそのあたりのことを「苦手」というジャンルに一切合切つめこんで、それ以上の改善をさぼってきた。

別に洗濯物が上手にたためなくても、りんごの皮をむけなくても、おつかい能力が低くても、生きていける。

そう考えて、優先順位を「いつかはイタリア語をしゃべりたい」ぐらいの低さまで下げてきた。

おまけに、ぼくの妻は生活を一生懸命がんばるタイプの人なので、すっかり甘えてしまい、何の能力も育たないままなのである。

しかしまあ生きてると、イタリア語は無理にしても、自分なりに「いつかは」ということも叶ったり(あるいは完全にあきらめたり)してきて、なんとなく人生を半周した感じがあって、そうなると残り半周を進むにあたり、ぼくは「ちゃんと生活する」姿勢と能力を身につけないと、これ以上先には行けないような気がしてきた。

そろそろ、生活をがんばらなくちゃいけない。


そういえば、コピーライターの修行時代によく言われたことの一つに「みんなと同じような毎日をすごしていても、つまらないアイデアしか出てこない」というのがあった。

ぼくはこれを「つまり平凡な暮らしをすることはクリエイティブにとって有害である」と解釈し、普段の生活を軽視するようになっていた。

斬新なアイデアを思いつくために努力することだけが大切であり、それ以外はどうでもいいことだと、そう思うようになっていた。

しかしこれは完全な間違いで、平凡な暮らしを送るということほど困難なテーマはそうそうない。

なんの補助線も引かれてない衣類を目視だけで何枚も何枚も丁寧にたたみ、人の命を簡単に奪うことができる鋭利な刃物を高速で動かして料理を行い、限られた予算をシビアに管理しながら必要物資を瞬時の判断で購入する。

暮らしとは、なんと難しいものか。

それだけではない。

仕事はイヤになれば転職できるし、恋愛は好きでなくなれば別れることができるが、暮らしは、ずっと続いていくのだ。

生きている限りずっと自分にまとわり続ける、毎日を暮らしていくという作業を、ぼくは「クリエイティブではないもの」として、ずっと唾棄してきたのである。

クリエイティブの本質が、もともと面白くもなんともない状況をアイデアをひねりだして楽しいものに変えることなのだとしたら、本当にクリエイティブに生きるには、まっさきになんとかしなくちゃいけないことだったのに。

そろそろ、生活をがんばらなくちゃいけない。


だけど、生活をがんばるというのは、もっと必死に家事をするという意味ではない。

もちろん、家電を導入して効率化をはかったり、洗濯物をたたむスピードを上げられるように訓練する必要もあるけれど、大切なのは「毎日続いていく生活」というものを、どうすればもっと楽しんでいくことができるか、ちゃんと頭を使って工夫する、ということだと思う。

これは、なかなか取り組みがいのある難題である。

そもそも人類は、家事に対してどのように立ち向かってきたのだろうか。

また、他の人たちはどんなアイデアを持っているのだろうか。

そして、これからの暮らしのかたちはどうなっていくのだろうか。

ああでもない、こうでもないと考えながら、日常のありふれた光景を、気持ちのいいものに変えていきたい。


それが、これまでの人生で、ぼくがずっと置き去りにしてきた宿題だと思った。


そろそろ、生活をがんばらなくちゃいけない。