犬だって言いたいことがあるのだ。

ものごとをひとつ先に進めるアイデアについて考えています

もっと、自由に死んでいきませんか。

 
 
 
 
池田仮名さんの
 
 
 
 
を読んだ。
 
ブログに自分の書きたいと思うことを書いて、ちゃんと拡散できたり、あわよくばお金も儲ける、というのは両立可能かというテーマを、氏らしい分析的・内省的な論調で書いていて、すごく面白かった。
 
まあ答えは簡単で、本気でやろうと思えばできるかもしれないし、できないかもしれない。
 
しかし、そうでないなら難しいだろう。
 
残念ながら僕の心の奥のほうには、いまだにマッチョな部分が横たわっていて、夢があるなら必死に挑め、と時折、野太い声で叫びだす。
 
しかし、その声に無理やり鼓舞されて、命を削りながら努力して、しかし何ひとつ報われなかった苦しい経験が、前に進もうとする僕の足を鈍らせる。
 
それがロスジェネの基本的なフィードバックの形なのかもしれない。
 
 
しかし、僕には別の見解もある。
 
 
もっと自由になればいいのではないか。
 
 
ブログであれ、なんであれ、何かを表現したいと思う時、僕らはもっと自由になってよい。
 
それはロスジェネだとかゆとりだとか老害だとか、そういう他人の規定した価値観からの解放だけを意味するのではない。
 
それを受け入れるべきか、それとも無視するべきか、と悩む自分自身からも自由になったほうがいい。
 
人が何かを誰かに伝えようとする時には、相手にそれが受け入れられないかもしれないとい大きなリスクがある。
 
どうせ、表現者というのはそういう危険をあえておかそうとする酔狂な人間なのである。
 
だったら、せめて自分自身の跳躍力だけは信じてあげればいい。
 
それ以外のことをすべて忘れて、ただ少しでも遠くへと飛んでいくことだけに集中する、その快楽におぼれてしまっても別にいいんじゃないだろうか。
 
それがマネタイズが目的であろうが、自己実現が目的であろうが、承認欲求を満たすためだろうが、なんだっていい。
 
僕らはどうせプロセスの中で生き、プロセスの中で死んでいく。
 
ならば、少しでも気持ちの良い死に方をしたいし、それくらいの自由は誰にだって与えられていると信じている。