久しぶりに制作の若い人たちと話をしていて、コピーを書かなくなって、いったい表現欲求をどうやって満たしているのか、と聞かれた。
ああやっぱり制作をしている人はそう思うんだな、と感じてうれしかった。
彼らは自分の欲求のために働いているのである。
もちろんそんな簡単なものではなく、色々と悩みは尽きないのだろうけど、しかし基本的にはシンプルだ。
それをどうやって仕事という制約の中でうまく満たしていけるか、そんな風にして日々を暮らしている。
本当にやりたいことと、やらなければいけないことが合致する瞬間というのはめったにやってこない。
クリエイターになれたらそれは解消するかと思ったけど、むしろ悩みは深まるばかりだった。
なんというか、ぼくはすごい勘違いをしていた気がする。
何者かになることはゴールでもなんでもなかったのだ。
答えは目の前にあったのだと思う。
クリエイターになりたいけどなれなくて、業務が終わってから深夜に自主制作に取り組んでいた時間。
こんな仕事をしていたら自分のキャリアに傷がつくぞと毒づきながら、ちょっとでも面白いものにできないかと悪あがきしていた時間。
あるいは企画でまったく力を出せなかったとき、せめて制作現場で役に立とうと走り回っていた時間。
全部、やりたいことだったのだ。
じゃあ今はどうなんだといえば、いくつになってもそのへんは成長していなくて、目の前のやるべきことの中に埋もれて暮らしている。
だけどそれはひょっとして、いやひょっとしなくても、それらのほとんどが、自分がかつてやりたいと思っていたことなのだ。
その中には、それなりにちゃんと叶ったものもあるし、あるいはいつのまにか別の形に変わったものもある。
不本意ながら受け入れるしかなかったものもたくさんある。
むしろそれがほとんどだけど。
いずれにしたって、全部、自分がやりたいことに取り組んできた結果なのだ。
だからあまり難しいことは考えず、今を存分に生きていけばいいのだろう。