自分の力で生きる、ということの意味。

 

 

 

 

最近は、家族の介護をしている人の話を聞くことが増えた。

 

 

 

聞いていて思うのは、介護する側もされる側も、その立場になるまでは、よもや自分がそうなるとは想像もしていない、ということだ。

 

自分はいつまでも元気だとか、あるいは自分の親は元気なまま年を取ってピンピンコロリだとか勝手に思っていて、しかし気がつくといきなりその日は訪れるのだ。

 

若い頃は、自分のやりたいことを描き、それを実現することが関心事で、物事というのは自分の意志と努力で勝ち取るものだと思って生きているが、歳を取ると、やりたいとかやりたくないとかは関係なく自分ではコントロールできないことが増えてくる。

 

たぶん、これからはそういうことがもっと増えていき、最後は何もできなくなるのだろう。

 

だから人は集まって暮らす。

 

家族がいない人や知り合いがいない人でもお金を払えば助けてもらえるし、自治体から支援を得られる場合もある。

 

だけど人にいつも世話になりっぱなしで生きるのはなかなか辛いもので、やりたいことを自分の意志で自由にできない、いつも誰かにお願いしないとできない、というのは、それまで自分でなんでもやってきた人ほど耐えられないかもしれない。

 

 

人生の中で、自分の力で生き、自由にやりたいことができる時間なんてあまりたくさんはなく、僕にとってのその時間も少しずつ、しかし着実に過ぎていこうとしている。

 

ぼくは人生に対するとらえかたを変えていく準備をしなくちゃいけない。

 

できないことが増え、人に頼らないといけない生き方を受け入れる。

 

それでも自分が生き、死んでいくまでの意味を考えるのをあきらめず、そのためにできることを最後の瞬間まであきらめない。

 

もうぼくはこれまでの人生で、大切にしたいことを見つけている。

 

だったらそれだけを道しるべとして、できないことは人に頭を下げてお願いし、自分がやるべきことはいくら時間がかかっても最後まであきらめず、ぼくにこんな素晴らしい人生を与えてくれたすべての人の愛をいっぱいに感じ、その日までを生きていきたい。

 

その態度を取ることだけが、ぼくが手にすることのできるたった一つの自由なんだから。