下手の考え、休むほうがマシ。




ちゃんと予防接種をしたはずなのに、がっつりインフルエンザにかかり、しばらく静養しなければいけなくなった。


基本的に何もせずにじっとしていられない性分なので、横になっていても本を読んだり仕事の資料やメールを見たりしようとするんだけど、どんどん熱が上がっていって、一番ひどい時は40度の熱があって、これはどうも吐き気はするわ頭痛はするわで、強制的に何もせずに休まざるをえなくなった。

何もしなくても頭の中で何かを考えることくらいはできる、と高を括っていたけど、さすがに高熱が出ている間は、考えることすらできないらしい。

眠ってるのか意識が遠のいているのかよくわからないが、とにかくもうろうとしていて、しかしあまりに頭痛がひどくて我に返る、また意識が遠のく、の繰り返し。


それでもう、あきらめた。


もともと、僕の中で大事にしていることの一つに「小さいことでもよいので、何かのアイデアを毎日考える」というのがあって、これは別にかっちょいい話でもなんでもなく、何も考えなかった日が一日でもあると、その後の再起動が大変なので色々と困るのだ。

ただ、不思議なもので、僕はあまりにそれにこだわってきたので、少々のことでは「何も考えてない状態」にならない。

のんびりできる時間ができると早く何かネタを仕入れなきゃとやたら焦るし、ものすごいトラブルが起こっている時でさえ、この情景って何かに使えねーかなーとか考えてしまっているので、本当に休みたい時にもちゃんと休めていない気がする。

そういう意味では高熱による強制シャットダウンは、効いた。


そうなのだ。


僕はいつのまにか、ああでもないこうでもない、といつも考えるせいで、その瞬間に起こっている出来事に対してちゃんと向き合わない癖がついていたかもしれない。

今よりももっと面白いことを、今よりももっと楽しいものを、と考えるあまりに「いま、ここ」を無視していたのかもしれない。

そもそも、良いアイデアというのは、どれだけぶっ飛んでいても、いつも「いま、ここ」とちゃんと接点を持っている。

いま、自分は何をしているのか。

誰と、どこにいるのか。

そして、何を感じているのか。

毎日何かを考えることよりも、ちゃんと今を大切に生きていることのほうが、良いアイデアにたどりつくにはずっと近道かもしれない。

よく考えれば、同じようなことを昔誰かに教わった気がするけど、当時は全くピンとこなかった。

そんな煙に巻くような話をされても困る、もっとわかりやすくスーパーアイデアがドーンと出てくる呪文を教えてくれ、と思っていた。

しかしやっぱり、この現在と未来の結点こそが一番大事なのだ。

自分の今の状態から、目をそらさない。

自分の今の心に、ウソをつかない。

自分の今の場所を、ちゃんと愛する。

そんな当たり前のことを、思った。


というわけで、もう少しだけ何もせずに休ませていただくことにしよう。


いい年こいて熱出して横になってるという「いま、ここ」をゆっくりと抱きしめながら。