子供は、労働力。


仕事からの帰り道に、8歳の息子に米を洗って炊いてくれと妻が電話すると、いそいそと用意してくれるらしい。



どうも本人は用事を頼まれるほうが、つまらない宿題をするよりも楽しいらしく、今日のごはんはぼくが炊いたんだとうれしそうにしている。

夫婦で働いていると子供たちが朝起きて夜寝るまではずっと戦場みたいな状態なので、子供が家事を手伝ってくれるのは本当に助かる。

子供はのびのび遊ばせなきゃ、あるいは早期に勉強させなきゃ、あるいは情操教育に力をいれなきゃ、とまあどれも正解なのだろうけれど、一人の労働力として家庭に貢献する、というのも立派な子供の役割だと思う。

誰かの役に立ってる、頼られている、という実感があれば、ちょっとやそっとのことなら乗り越えられたりする。

それは大人も子供も同じだろう。

ぼくは子供に団体スポーツを教えることはできないが、家族というチームの一員としてお互いに支え合う体験を学びあうことならできる。

別にキレイごとを言いたいわけではない。

ぼくの給料だけでやっていくのが苦しいから必要に迫られて今のような生活をしている。

だから家族それぞれが何かの役割を担い、協力していくしかない、恥ずかしいがそれだけの話だ。

しかし子供たちがそういう環境の中にいるのは、もうぼくたちの子供であるかぎりあきらめてもらわなきゃしかたないし、独り立ちするまではあきらめて、しっかりと労働力を提供してもらわないと困る。

ただそれだけの話だ。

だけどそうやって、同じ課題を共有しながらそれぞれが働く、そのプロセス自体は、生きるというプロセスにまあまあ近いような気もする。

もちろん人間は、もっと不真面目な理由で生きている部分も大きいのだけれど。

40年生きてきて、もういらないと思うもの


・40歳を前にして、いままで気にしてきたけどこれからは不要だと思うもの



おしゃれな美容院で髪切ること

リンスとかコンディショナーみたいなやつ

やたら値段の高いジーパン

やたら値段の高いスニーカー

無理にかっこつけて履いたら後で足が痛くなる革靴

ファッション誌

最新のスマホ

最新のパソコン

高級な時計

チャラチャラしたアクセサリー

「40歳までに必ずやっておくべき10のこと」という自己啓発書

「30歳までに必ずやっておくべき10のこと」という自己啓発書

「20歳までに必ずやっておくべき10のこと」という自己啓発書

それ以外の自己啓発書全部

やたら写真を撮ること

昔はモテた自慢

おしゃれすぎるカフェに入ること

高いだけでおいしいかどうかよくわからない食事に行くこと

好きでもない人と食事に行くこと

好きでもない人と一緒に仕事すること

遅くまで会社にいること

睡眠時間を削って働くこと

分厚い企画書を書くこと

サステナブルでレスポンシブな意味のわからんカタカナでごまかすこと

自分でもよくわかっていない難しい言葉を使うこと

日経新聞をありがたがって読むこと

結論をはっきり言わないこと

会社の中の評判

一人で仕事を抱え込むこと

失敗を恐れて何も挑戦しないこと

人真似ばかりしてるくせに何かやった気になること

面白くもない話に長時間付き合うこと

面白くもない話に笑うこと

なんためにやっているのか考えたこともない作業

なんのためにやっているのかわかるがやりたくない作業

やりたくないくせにずっとガマンしていて突然キレること

やりたくない仕事を頼まれてもいいかっこして引き受けること

人から仕事を頼まれるのをじっと待つこと

キツイ仕事を孤立無援になっても続けること

ムダに群れること

自分がこれまでやってきたことが正しいと決めつけること

先輩から教わってきたことは真理だと思いこむこと

逆に新しいことや若い人が言うことは素晴らしいと思いこむこと

自分がいる狭い世界の常識をすべてにおける常識だと思いこむこと

他人のために自分を犠牲にすること

人に頼み事をするのをためらうこと

何でもできると過信すること

本当は不安なくせに「できます」ということ

何でも知ってるフリをすること

やたら苦労すること

きびしい肉体労働

冷たい飲み物をガブ飲みすること

肉ばっかり食べること

塩分を摂りすぎること

冬の薄着

全力疾走

無理にハードなスポーツに参加すること

加齢臭が染みつくぐらいじっと同じ場所に居座ること

ちゃんとした立派な大人でいようとすること

自分の中の気持ち悪い部分を隠すこと

素直な気持ちを隠すこと

そのうち自分が本当はどう思っているのか自分でもわからなくなってしまうこと

アホを隠すこと

アホなこと考えてるあいだが一番楽しいはずなのにそれを忘れてしまうこと






・それ以外はまだ必要だと思うことばかり

おつかれさまですなんてメールに書くのは、やめなさい。

中田課長



おつかれさまです。

大変僭越ながら申し上げます。

空想の世界では魔よけのお札みたいに持ってるだけでありがたいものがたくさんありますが、残念ながら現実世界のコミュニケーションにおいてはそんなものはどこにもありません。

メールにおつかれさまですと書いておけばなんとなく気を使った感じになるだろうと思っている人がたくさんいるせいで、今日もなんの意味もない大量のおつかれさまですが生まれては読まれもせずに消えていくのです。

それだけではありません。

朝はまだ出社したばかりでつかれてもいないのにおつかれさまですと書き、昼はコンビニのおにぎりに向かっておつかれさまですと手を合わせ、夕刻になって今度は本当につかれてきた頃に、すみませんちょっと込み入った話がありましてねと、そこはおつかれさまですじゃねえのかよ。

まったく何の役にも立たないおつかれさまですを書いてるヒマがあったら書き出しをちょっと工夫したほうがいい。

中田課長

お喜びください。

本日の得意先とのミーティングですが、
無事に完了いたしました。

とか

中田課長

実はですね。

本日の得意先とのミーティングですが、
現在の内容で問題ないということを双方にて確認いたしまして、
無事に終了いたしました。

とか

中田課長

知ってた?

今日の得意先とのミーティング、
ただの確認作業だけで何も前に進まんかったわ

こういう時間のムダみたいな作業はほんまに必要と思う自分?

とか

本当に伝えたいことだけ書いたほうがええんちゃうの。

多少のマナーがどうとか常識がどうとかそんなことでキレてくる人なんか相手にせんでええよ。

そんな人はほんまにあんたのことを必要としてない、ただエラそうにしたいだけやから。

人生は有限やでえ。

エラそうにしたいだけの人にエラそうにされるためだけに自分の時間を使うなんてもったいないだけやろ。

ま、エラそうにされるのが気持ちよくてたまんねえってやつは好きにしたらいいけど、俺はゴメンだね。

俺の時間は俺のための時間だ。

それを何に使うかなんて他人には決められたくないね。

ただな、ひとつだけ大事なことがあってさ。

残念ながら、他人のために使う時間にしか、そいつが生きてる価値ってのはないんだよな。

だからよくよく考えて、てめえのその大事な時間をさ、誰のために使うかは考えろよな。

おい。

おい中田。

しっかりやれよ。

てめえの、心のこもってない、どうでもいい気づかいのありそうでまったくない言葉なんていらねんだよ。

それより動けよ。

そうだな、まずは俺のために動いてみろよ。

俺が何をしたら喜ぶか考えて、動いてみろよ。

中田。

しっかりやれ。

動け。

動いてヘトヘトになれよ。

その時に俺はお前にはじめて、心をこめて言ってやるよ。

おつかれさまですってな。