健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会に潜伏しています。






シロクマ先生(id:p_shirokuma)の新著『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』を読ませていただいた。



文章の色んなところから、シロクマ先生の強い覚悟を感じ、なんとなくずっと背筋を伸ばしたままで読み終えた。

シロクマ先生は本書の中で、この国の「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」のあり方について疑問を投げかけるだけでなく、精神科医としてのご自身の立場に対してさえも疑いのまなざしを向けている。
たとえば、こんな感じだ。

資本主義・個人主義・社会契約が徹底していく社会、どこまでも清潔で健康で道徳的になりゆく社会、秩序と社会適応の同心円へあらゆる人を包み込む社会から逃れることは困難になった。家庭でも、学校でも、職場でも、マスメディアやインターネットでも、それらを大前提とした通念や習慣に私たちは曝され、それを内面化していく。そのことは医療や福祉の現場でも変わらない。この点では、医療や福祉は秩序に対するオルタナティブではなく、むしろ診断や治療やマネジメントをとおして私たちを秩序の同心円のどこかへ再配置し、資本主義・個人主義・社会契約が徹底していく社会のほうへと私たちを招き寄せ、絡めとっていく側である。

特に、「発達障害」という概念が浸透してしまった社会では、精神医療は人々を「発達障害」だと診断し、治療し、社会のなかに「再配置」することで、社会の不自由さを強固にすることに加担してしまっているのではないか、とシロクマ先生は疑問を持つ。

ご自身の矛盾について、逃げずに立ち向かおうとしているわけである。

すごい覚悟だ。

ぼくの中にも矛盾した二人の人間がいる。

一人は、サラリーマンとして仕事をして、子どもの親として育児に取り組み、なんとか普通の人間のような顔をして、世間体を保っているつもりになっているぼく。
彼が暮らそうとしているのは間違いなく「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」だ。
彼はかなり無理をして、できるだけ勤勉であろうとし、年を取っても「成長」をあきらめようとしない。
あるいは、あきらめていないというフリをしようと努力する。

一方で、たいして重要でもない事柄をブログに書き、一円の足しにもならないようなバカなことばかりを妄想しているぼく。
彼の生きている世界は効果効率といった言葉とは無縁で、いつも無駄なことへの関心で頭の中がいっぱいだ。
彼は、おそらくそのままでは「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」では生きていくことができない。
だからこうやってインターネットでどうでもいいことをつぶやくのだが、今やそれすら不特定多数の目で監視され、うっかり余計なことを書けばすぐに炎上し、みんなが守っている社会の秩序を乱す者として、制裁を食らうことになる。

そして厄介なことに、この二人の人間は、きれいに切り離せるものではなく、同じ部分を共有しながら生きているのである。

たとえば、ぼくが仕事で使っている、色んな視点から物事を見る技術は、「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」で生きているだけでは身につかない。
日々どうでもいいことを妄想し、くだらない思い込みから失敗をして、人生経験の引き出しを増やし続けているおかげだったりする。

一方で、ヒイヒイ言いながらなんとか最低水準の「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」にしがみつこうともがいているからこそ、こんなぼくの話でも誰かに聞いてもらえる。
育児って大変ですよね、家事って難しいですよねと、なんとかまともな人間のふりをして、次の仕事を取り付けることができていたりする。

二人で一人の、すごく不完全な存在なのだ。

シロクマ先生は本書の中で「オルタナティブ」という言葉を何度も使っている。

難しくてよくわからなかったので少し調べてみると、代替とか、今の主流のものに代わる何か、といったことを指すようだ。

今の世の中に「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」以外の、何か代わりになるものがあるだろうか。
シロクマ先生は、こう願う。

通念や習慣に従いつつ、心の中で舌を出していても本当は良いはずである。たとえば芥川龍之介は「最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである」と記しているが、そのような態度は通念や習慣に呑み込まれないためにあって構わないものではないかと思う。現代の秩序に引っかかりどころのある人が、引っかかりどころのあるまま生き、心のなかで舌を出していてもかまわない社会であって欲しい。秩序への盲従を強いるような社会ではあって欲しくない。

こういった態度をとるには、とても高等な技術と、並々ならぬ忍耐力を必要とするかもしれない。
自分の中に相反する二人の人間を住まわせて、お互いを少しずつ遠慮させながら、だましだまし暮らすのはなかなか困難な取り組みだ。

それでもぼくはこの矛盾を大切にしたい。

矛盾があるからこそ、次のアイデアは生まれる。
矛盾があるからこそ、それが一時的にせよ、解消された時の喜びはたまらない。
矛盾があるからこそ、生きている、というのは言い過ぎだろうか。

心の中のモヤモヤとした矛盾と向き合い、早く楽になろうと急がず、じっくりと悩み、付き合うこと。
それが、今ぼくができることのような気がする。

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて

  • 作者:熊代 亨
  • 発売日: 2020/06/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)