ぼくはこれまで自分の立場を得るために苦労してきたと思ってて、受験勉強にせよ、就職活動にせよ、コピーライターになるための修行にせよ、自分がより有利な立場を得るための努力だったと思う。
時々、立場で仕事をしているやつ、という悪口を聞くが、それはまさに自分自身のことで、結局は立場に守られているからじっとしていても仕事の相談があり、話を聞いてくれる人がいて、責任を取ってくれる組織があり、何かをやった気になっているだけだ。
あるいは夫とか父親とかいう立場にかこつけて、他にも家族のためにできるはずのことをやらずにダラダラと仕事をしていたりする。
また、立場で仕事をするから、自分よりも上の立場の人間の言動に対しては敏感で、いつもビクビクしながら生きているし、なんであいつのほうが立場が上なんだとか嫉妬しながら暮らしている。
そんなことを思っていた最近、できる人がやる、という考え方に触れた。
例えば火事が起きたとき、そこに立場はあるだろうか、部長から先に逃げなきゃいけない、とかあるだろうか。
逃げるのに苦労しそうな人を優先することになるし、力のある人はその人を助け、出口の近くにいる人はその出口を確保できるように動くだろう。
全員がその場から脱出する、ということが共通の目的になる。
もちろん、中にはもっと動けるのにさっさと逃げようとする人もいるだろうし、どう動けばいいかわからないで突っ立ってる人もいるだろう。
そういう人にいちいち構うかどうか、それも状況次第で、全員が動かなきゃまずい場合は、彼らにも声をかけなきゃいけないだろう。
ぼくは、いま実際の火事の中にいるわけではないけれど、非常事態にあると思う。
無駄に老いて力を失い、たいした立場もなく、幼い子どもがいて、無理にでも生きていかなきゃいけない。
周りには、十分な立場を約束され、十分な分配を得て、のんびり暮らしている人たちがたくさんいるけど、ぼくだけは火の中にいる。
実際は、みんな火の中にいる、いるけど気づかなかったり、まだ耐えられる熱さだから我慢している。
さて、ぼくはみんなと同じように、熱くないフリをして、脂汗をダラダラ流しながらじっとしているのが懸命なのだろうか。
さっさと立ち上がって、自分のできることを始めたほうがマシなんじゃないだろうか。
そんなときに立場を気にしていたら何もできない。
自分が必死にしがみついてるちっぽけな椅子を蹴飛ばして、炎の中に一歩踏み込む。
それぐらいしか自分がいまできることはないように思う。
どうせいつかはこの世からいなくなるのだ。
じっくりと全身が茹でられていくのを待つような死に方をするよりは、マシな死に方をしたい。