君のことは、全然心配していない。


先日、昔お世話になった人が定年退職することになって、挨拶に行ったら、ところでお前はいったいどっちの道に行くんやと言われて答えに困った。



どっちの道、というのは表現者としての道と、それをサポートする道、という意味で言ってるのだが、実はもう自分はどちらの道にも関心がなくなっていて、だがそれを説明するのが面倒だったし、もっと言えばその人の頭の中にある道の姿と、ぼくの頭の中にあるそれが、十数年を経て、かなり違ったものになっているという確信があったのだ。

それで、ううんまあなんでもいいんです、というとすごくがっかりした顔をされたので、もっといい答え方があったのかもな、と少し後悔した。

その人はぼくのことを未だに心配してくれているのだろうし、善意で言ってくれているのはわかるが、もうぼくはぼくなりの細々とした道を歩き始めていて、彼らが、そして過去のぼくが、これまで大事にしてきたものとは決別しているということを伝えればよかったな、とも思った。

だが、もしそのことを伝えてしまうと、その人のこれまでの人生を否定する言い方になってしまうようにも思って、余計にごにょごにょとした返事になってしまったようにも思うが、それは傲慢というものかもしれない。


ところで、ぼくにはもう一人、とてもお世話になった人がいて、その人も少し前に退職したのだが、彼はぼくに、君のことは全然心配していない、と言ってくれた。

君は自分のやり方で自分の仕事を作れる人だから全然心配していない、どうせまた何か新しいことを見つけて取り組んでるのだろう、と言ってもらって、ぼくはひどく安心した。

その人は、いつもぼくの良いところを見つけてくれて、それを引き出すのがとても上手だった。

会社では一匹狼だが、業界では有名人、いわゆるスタークリエイターで、企画にとても厳しい。

彼に気に入られると賞を獲れるような大きなチャンスを得られるので、多くの若手がおべっかを使って取り入ろうとしていたが、良いアイデアでなければ絶対に採用しない人だった。

だから、彼がぼくの企画をよく採用してくれるのが心からうれしかった。

また、あまり言葉数の多い人ではないが、ぼくの企画の良いところとダメなところを的確に言ってくれて、次に取り組むべきことを上手にほのめかしてくれた。

ウマが合う、といえばそれだけなのかもしれないが、それ以上に、彼はそうやって他人のやる気や能力を伸ばすことがとてもうまい人なのだろう。

表現者の道をあきらめてから、ぼくがあれこれ悩んでいたこともおそらく気づいていて、その上で、君のことは全然心配していない、と言ってくれたのだろう。

思い起こせば、彼はいつもぼくが何かを望んでいるときに手を差し伸べてくれた。

それは、彼自身が、強い望みやこだわりを持って生きてきたからかもしれない。

だからこそ、ぼくに「スタークリエイターになる道をあきらめるな」なんてことは言わなかった。

自分の望みを押し付けるのではなく、ぼくの今の望みが叶うように、応援してくれたのだろう。

君は表現者の道を降りたとしても、何かを目指して迷いながらでも進んでいける人間だ、だから全然心配していない、そう鼓舞してくれたのだろう。


ぼくもいつか、誰かに言っていたいものだ。

君のことは、全然心配していない。

かっちょいいなあ。