一番大切なことは、自分がいまどのくらい追いつめられているのかを知ることだ。
ぼくは小さいころからお腹が弱く、いまだに電車に乗っているときに突然、危機が迫ってくることがある。
その時にはまず、自分がどの程度エマージェンシー状態なのかということを知らなければいけない。
今すぐ一番近くの駅に降りてトイレに駆け込むべきなのか、それとも終着駅までは耐えられそうなのか。
一体どちらなのかによって、満員の車両の中をなんとか出口付近まで近づいて少しでも距離を稼ぐのか、それとも括約筋に力を入れてちょっとでも耐久時間を延ばすために何か別のことに気をそらすか、どちらの対策を講じるべきかが変わってくる。
ちなみに下腹部が断続的に刺激を受けている状況下では、何か数字について考えることが有効である。
頭の中で簡単な足し算や引き算などを考えて解こうとしていると、それなりに気をそらすことができるものだ。
ただし、素数を数えるのはあまりおすすめしない。
はじめのうちはいいのだが、数字が大きくなってくると、それが素数かどうかを頭の中だけで検証できなくなってくる。
大事なのは別のことのために頭を動かし続けることなので、問題がわからなくなって思考が止まってしまうと、また下腹部に意識が向かってしまう。
ご注意いただきたい。
さて足し算を続けているうちに少し便意が和らいできたら、次にやるべきことは次の行動の順位づけをすることだ。
たいていお腹が痛くなっているときに限って、重要な打ち合わせが控えていたり、出勤時間ギリギリだったりするものだ。
このまま電車に乗り続け、トイレにも寄らなければ打ち合わせにはギリギリ間に合う、という状況ならば、一度相手と会い、断った上でトイレに行くこともできるかもしれない。
しかしそこまで耐えられる自信がないのであれば、今すぐ遅れる旨のメールを相手に送り、電車が停まるやいなやトイレに駆けこむべきである。
だが気をつけなければいけない。特に朝の駅のトイレは、ドアがどれも一切開かないことがある。
こんなにたくさんあるのになぜ誰も用を済ませて出てこないのか心から不思議に思うが、しかしこういう時に限って本当に誰も出てこないのである。
一体この朝の忙しい時間からなぜそんなにのんびりやれるのか理解に苦しむが、しかし今取り除くべきはすでにかなり下方まで移動してきている腹の苦しみのほうである。
どのトイレをターゲットにするか、ここが死活問題となる。
メジャーなトイレは混んでいるが台数は多いからすぐに空く可能性も高い。
しかし前述のとおり、ずらりとならんだ扉のどれもずっと閉まりっぱなしでまったく動きがない場合は大変だ。
めいめい苦しそうな表情を浮かべて並ぶ男たちの列から外れ、今から他のトイレをめがけてダッシュを始めるべきか、それとも暴発覚悟でギリギリまで待ち続けるのか、この判断は非常に難しい。
だからといってマイナーなトイレには、マイナーなトイレなりのリスクがある。
マイナーなトイレはマイナーなだけに収容台数が少ない傾向にあり、また到達するまでの移動距離も長いことが多い。
万が一あの開かずの扉現象に出くわしてしまえばそこでゲームオーバーだ。
そこで考えられるのが駅ビルや駅近くの商業施設だ。
ホームからの距離はやや伸びるが、駅ビルや商業施設にはフロアごとにトイレが設置されている場合も多いためリスクヘッジができるし、朝から利用している人間も駅のトイレに比べれば圧倒的に少ない。
ただし、このような戦略を選ぶことができるのは、降りる駅を自分が熟知している場合だけだということを注意しておきたい。
ほとんど降りたこともないような駅を選んだ場合は、行き当たりばったりの過酷なゲリラ戦を強いられることは覚悟しなければならない。
さあ目標が定まれば、あとは行動あるのみだ。
もう一度復習しよう。
まずは自分がどれほど追いつめられているのか、その度合いを知ること。
次にこれに対する対処法を複数挙げ、その優先順位を決めること。
優先順位を決めたら到達するべき目標を絞り込み、そこに向かって全力を尽くす。
最後に、もし最悪の事態が起きたときのことをちゃんと考えておく、ということを付け足しておく。
パンツはコンビニで手に入れることができるし、朝の10時あるいは11時以降であればたいていの服屋は空いているのでズボンを入手することもできる。
まさかの事態に備えて普段からパンツをカバンの中に常備しておくということも考えらえるだろう。
大丈夫。
人は、簡単にはやられはしないのだ。