生きていると悩みのオンパレードだ。
今日のスケジュールはこれで、こんな問題に取り組まなきゃいけない、明日はこんな会議が控えている、そもそも我が社の課題はこれで、それを解決しようと思うとまずは新規顧客をこれだけ獲得しなきゃいけない、そのためにはこれとこれとこれを動かさなきゃいけない、そうなるとまずはこの人とこの人に声をかけなきゃいけない、いやちょっと待て、そればかりやってちゃ困る、既存の得意先をおろそかにしていたら事業が足元から崩壊するぞ、さあ今すぐ挨拶に行こう、いやちょっと待て、その前にこの間助けてくれた人から頼まれていることがあった、あれを先に片付けてしまわなきゃいけない、だけどそろそろ帰宅しなきゃ子供を風呂に入れられないぞ、一度風呂に入れて寝かしつけてから作業をしよう、しまったそのまま寝てしまった、さあどうする、とにかく残された時間でやるしかないぞ、だがこんな生活繰り返していたらいつになれば自分のやりたいことができるのか、そもそもやりたいことってなんだったっけ、困った、自分が自分でわからない、もう不惑というのになんとひどい状況だ・・・
しかしまあ、ぼくはそういう悩みだらけの毎日を送り、このところ色んな失敗を繰り返しているうちに、急に気づいた。
悩んだってしかたないのだ。
もちろん、ぼくがあれこれ悩んでいることは、どれも無視できないことだし、取り組んでいかなきゃいけないことだ。
だけど、それに対してぼくができることは限られていて、そのできることをやる、それしかできることはない。
中途半端に「自分はもっと色んなことができる」と思ってしまうから、悩んでしまうのだ。
そりゃまあ、いくつになっても、あきらめちゃいけないことはあるし、人前で「できない」と言うのはとても難しいことである。
しかし思いきって、最近は言ってしまう。
「できません。」
だけど、実はこういう人が世の中にはいて、そういう人ならこれに対処することができるかもしれないから連絡をとってにみるのもいいかもしれない、あるいは、こんな方法ならば解決できるかもしれないけど、それにはこのあたりから手をつける必要がある、どうしてもやりたいなら、この辺からはじめていくことなら「できる」。
そうやって、「できない」ことの中のわずかに「できる」ことを見つけて、それを取り組んでいくことにしている。
悩みというのは、達成できない欲望だ。
生きていればいくらでも欲望は増えていく。
それに対してぼくらができることは2つしかない。
その欲望を遠回りでもいいから、少しずつ満たしていくこと。
あるいはそれをすっかりあきらめてしまうこと。
最近はそんな風にシンプルに考えている。
どうせ生きてるあいだにすべての欲望が満たされることなんてないのだ。
ならば、満たされない欲望が数多くあるという事実に対してあまり難しく悩んでも、しかたがない。