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犬だって言いたいことがあるのだ。

ものごとをひとつ先に進めるヒントについて考えています

出世に、失敗しました。




一番大きな原因は、失敗を恐れたことだ。



エラくなるためには失敗はできない、評価されるためにはミスはできない、生計を立てるためには給料を下げてはいけない、という心配ごとばかりが頭の中にあって、人の目ばかりを気にして行動していた一年だった。

そのせいで、自分で仕事を抱え込んでしまって、結果的に失敗をやらかして、会社からの評価も大きく下がってしまった。

また、失敗を恐れるあまり、ワクワクできる挑戦をひとつも行わなかったので、面白い成果を上げることもできなかった。

そのくせ睡眠時間を削ってギリギリの状態で働いていたので、疲れ切ってしまった。


色々と自分で自分を勝手に追い詰めていた。

もう会社でエラくなるには年齢的にはギリギリだったし、実際に体力も集中力も減っていくし、子供の成長につれて家計はどんどん苦しくなるし、残された機会はほとんどなかった。

そう考えれば考えるほど、もう失敗はできない、うまくやらないとチャンスは訪れない、と思っていた。

面白さよりも、正しさを求めた。

刺激よりも、安定を求めた。

自己評価よりも、他者の評判を求めた。


不思議なことに、そういう風に世界をとらえるようになると、びっくりするくらい自由な発想ができなくなる。

当たり前だけれど、自由な発想というものは、まあ失敗しても仕方ないや、と心のどこかでは思っていないと出てこないものだ。

そして、そういう状態のときのほうが、意外と失敗した場合のこともちゃんと考えていたりするのだ。


まあ、そんなわけで、簡単に言うと、自分を見失っていた一年間だった。

妻に、今年は給料が下がるという話をしたところ、努力した結果なら仕方ない、むしろどれだけ働いたって結果がどうなるのかわからないのであれば、早く仕事を切り上げて帰ってきて家事にもっと取り組んだほうがましじゃないの、と言われた。

あなたは仕事を好きでやっているのだと思っていたけれど最近はそうでもないのかしらとも言われた。


それで、ぼくはようやく目が覚めた。

ぼくは勝手に何か重たいものを背負っているつもりになっていたけれど、それはただの思い込みであり、他の人のぶんや家族のぶんも頑張らねばと気負っていたけれど、それはひどい思い上がりだったのだ。


こうなると、もう開き直るしかない。

ここまでの人生、進みたい方向を勝手に自分で決めて、勝手に進んできたのだ。

残りの人生も、好きなように生きようと思う。


好きなように生きる、とはどういう意味か。


甘んじるなさん(id:amnjrn)が、素敵な記事を書いていて、ぼくはこれは自分のための文章だ、と思った。

私はいい加減認めないといけない。これから出逢うかもしれない素敵そうな事物より,目の前のお茶が今私に見せてくれている世界の方がもう既に素敵である,と。

手にした石を据えることで,世界の構築に携わること。 - こ の 日 常 に 奇 跡 起 こ せ !


好きなように生きる、というのは、自分だけの特別なレンズをとおして世界を見つめる、ということだ。

他人にとってはつまらない光景やどうでもいい場面であっても、その人が大切にしているものを通してのぞけば、まったく違う世界が見えてくる。

それが甘んじるなさんにとっては「お茶」である。

彼女はこの世界を「お茶を入れるのにふさわしい場所」としてとらえなおすことができる。

そうすることで、平凡な河原も、退屈な路地も、そして自身の生活も、すべてが彼女の好きな「お茶」を成立させるためのフィールドとなるのである。


ぼくも、自分の仕事が好きな理由は、同じだったはずだ。

日常のすべての体験が、新しい発想の引き出しを作ってくれる、滋味深い食べ物になる。

ボロボロになるまで働くことも、子育てと仕事の合間でヒーヒー言うことも、そして出世に失敗することも、すべてがアイデアの栄養となり、豊かな土壌を育んでくれる。

無駄な時間なんて、ひとつもない。

そこには出世がどうとか、他人の顔色がどうとか、そういうつまらない景色じゃなく、未知の体験にあふれたワクワクした光景が広がっているのに、それを見るレンズをすっかり忘れてしまっていた。

もちろん、その体験のすべてを仕事で発揮できるとは限らない。

そんなときは、こうやってブログを書けばいい。

書くことをとおして、この世界を見つめ、そこで起こるできごとに自分だけの意味を与え、じっくりと味わえばいい。



さて、また歩き始めるとするか。