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犬だって言いたいことがあるのだ。

ものごとをひとつ先に進めるヒントについて考えています

僕は、弱い。





id:e_pyonpyon21さんのエントリを読んだ。

なじめないとき、どう生きるか・001 - 落ち穂拾い

孤独な人に対して、孤独であっても立派に生きていけるよ、と

言えるだろうか、という問いを投げかけている。


不遇を託つ人に向かって、あなたを受容してくれる個人や共同体は必ず存在するから、ここで挫けることなくそれらを求めて探すべきだと掻き口説く者がいるとしたら、わたしは、多くの場合、そういうのはある程度の年齢を重ねた大人にとっては耳障りのよい嘘でしかないし、いたいけな子供にとってはいずれ虚偽であることが露見する残酷極まりない空事だから、よほどの覚悟がない限り、手箱から繰り出すなと言いたい。

このあたり、ちょっと耳が痛い。


そしてこの問題は、真の意味で孤独な人だけに限られたものではないだろう。


むしろ孤独というものは、人間と触れ合うぬくもりを知っている人にこそ

余計に辛く感じるようにも思う。


周りの人々は、自分の知っているあのぬくもりに浸っているのに、

自分にはそれが今はない、自分は非常に孤独な状態だ、

というように自分自身の心が動くことそのものが、辛いのである。


そういう理由から、僕だって孤独を過剰に恐れている。







しかし、僕はそういう自分の弱さを大切にしたいと思う。


孤独を恐れ、人の温かさに触れることを切望し、

うらめしそうに上目づかいで歩く自分を、

後ろからぎゅっと抱きしめてあげたいと思っている。


人間は、弱さを通してしか、人間と触れ合うことができないからだ。


いくらお互いの強さを見せつけあっても、その距離は縮まらない。

「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ」である。

それ以上に相手に近づくためには、どちらかが先に自分の弱さを開示するしかない。

そして大抵の場合、どちらもその弱さを隠したまま、切りつけ合い、傷つき続ける。


もう僕はそういうのは、飽きた。

さっさと自分の一番弱いところを見せたい衝動にかられる。

その代わり、それはもう、弱さの中でもとびきり上等に弱いやつで、

それを目にした相手も、うわ、これは弱すぎる、と

思わず目をそむけてしまいそうなものを

胸から取り出して、見せる。


それでも、刀を上段に構えて真っ二つに切ろうとする人間とは

これ以上、特に触れ合う必要はないのである。


しかしもし、相手も恥ずかしそうにしながら、もぞもぞと服の下から

とびきりブサイクな弱さの塊を見せてくれたならば。


僕はその瞬間を望み続けながら、

バッサバッサと切り捨てられていく日々を送っている。