お金の役割はもうすぐ終わると思う

 

 

 

僕は、この国におけるお金の価値は

あまりにも高すぎると思っている。

 

 

マズローの欲求階層説によれば

下層にある生存に必要な欲求が満たされた時、

高次の欲求が生まれていくとあるが

いまだに僕らは最下層の生理的欲求なり安全欲求なりに

とらわれ続けていると感じる。

 

仕事でミスをした時や、昇進できなかった時、

僕らはそれらを、自分の生命の危機と

直結したイメージとして受け止めることが多い。

だからいまだに、ちょっとしたミスとか

周囲からの評判とかを苦にした自殺が減らない。

 

しかし、これは仕方のないことでもある。

なぜなら、いまだに人の努力だったり工夫だったり

そしていわゆる「自己実現」だったりを計測する指標として

貨幣的価値しか信じようとしない人が多いからである。

 

すると、「自分の理想の自分でない状態」が

即、「お金の儲からない自分」につながる。

金を(さらに)稼ぐ能力が低下するということは

そのままそれが自分の生命の危機であるという

認識につながってしまうのは仕方のないことなのだ。

 

そんなわけで、お金を稼いでいる人と稼いでいない人の

間には、実際以上の大きな差が開いていると

僕らは錯覚してしまうのである。

 

貨幣というのはすごくよく出来ていて

世の中のだいたいのものを

変換できるということになっているから

話がややこしくなっている。

 

 

だから僕は、お金の種類をもっと増やしたらいいと思っている。

 

緑色のお金は、自分の時間を費やした労働によってしか得られないお金。

黄色のお金は、実態のない投資活動でしか使えないお金。

赤色のお金は、誰かに感謝された時にしかもらえないお金。

 

そんな風に、人間の行為に対して色んな計測指標があれば

もっと、ラクに生きていけるんじゃないかなと思う。

 

あいつは資産は持ってないけど、人の役に立ってるよな、とか

あの人は実体のないお金ばかりで、誰にも感謝されてないよな、とか

そうなっていけば、変なスパイラルに陥ることもない。

 

そのうちに、あまりにも色んなお金の種類が増えすぎて

貨幣システムは崩壊するだろう。

でも、その頃には人間は色んな指標でもって

色んな価値を測ることに馴染んでいるので

社会が混乱するようなことは起こらない。

 

幼稚な発想だろうけど、インターネットの世界では

以外と突飛な話でもないような気がする。

特に、何の利得にもならない「はてなスター」をもらって

喜んだりしていられる身にとっては。