月給30万円の、船に乗って。




日本人はだいたい月給30万円で働く、みたいな前提で作られてるシステムがあまりに多すぎる気がする。



家の値段も、塾の月謝も、車のローンも、はてなブログProの月額も、それを前提に決まっている。

それは非常に社会主義的というか、誰もが月給30万円前後の幅の中で暮らしましょう、その範囲でガマンしあって譲りあって暮らしましょう、みたいな話なのだろう。

資本主義的な、俺は実力で年収1億円稼ぎ出すぜイエーイ、ビンボーなのは自己責任だイエーイ、みたいな考え方は、一時期はそれなりに速いスピードで浸透しそうだったが、どうも一部にしか到達してないようにも見える。

いやむしろ一部の人間にしかその恩恵は得られないことを考えると、すでに浸透したあとなのかもしれない。

それでまあ、時代によって主役となるプレーヤーは変わる、みたいな話でいくと、戦後直後は闇市などで活躍した起業家の時代があり、高度成長の人口ボーナス時は一億総中流の時代があり、不況以降はリスク回避で経営者から投資家にバトンが渡り、いまやハイエナファンドが国家を食らう、みたいになりつつある。

もはや月給30万円で暮らす人生が成立してることが、奇跡でしかなくなっている。

いまのところ、日本で暮らすということは、どれだけがんばっても月給30万円という中で、いろんなことをたくさんガマンしながら暮らすということを意味する。

おしあいへしあいしながら顔ではニコニコしつつ、いつ沈むかわからない船にしがみつく、ということを意味する。

こんな状況が正しいのかそうでないのかは、どうでもいい。

ただ、情報革命以降、世界が圧倒的に狭くなっていく中で、ひどく息苦しく、頼りなく、ちっぽけな場所にいるように感じる。

その感覚が一年近く、自分から離れない。