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犬だって言いたいことがあるのだ。

ものごとをひとつ先に進めるヒントについて考えています

軽いものこそ、重い。



まだ未消化なことなんだけれども。


軽く考えていることと、重く考えていることは、逆の場合が多いんじゃないかな、と思うことがある。

たとえば何かの企画を考えている時に、コンセプトとかフレームワーク作りだとかはこれって大事な作業だよねっていう合意が得られていることは多いけど、その企画の打ち合わせにおけるメンバーの体調や個人的に抱えているトラブルや、あるいは打ち合わせ中に飲むコーヒーのおいしさなどについては、あまり重視されないことがある。

だけど企画というものは、その場でどれだけ気持ちよくなれるかというのが実はものすごく大切で、もちろんその究極は面白いアイデア創発した瞬間ではあるけれど、そんなものは偶然に頼るしかない部分がまあまああって、今日はあまりいいものが出なかったね、ということだってよくある。

それでも、今日はそれなりに気持ちよかったね、という収穫さえ得られたら、次の打ち合わせでもっと良いアイデアが出る確率は高まる。

もちろんこの場合の気持ちよさというのはアイデアを思いついたり転がしたりする時の気持ちよさのことなのだけど、それは往々にして生理的な現象に近いため、コンセプトだのKPIだのというよくわからぬ想像上の産物よりも、当日の体調なり精神状態なりコーヒーのおいしさのほうがずっと大きな影響を与えたりするのだ。



これは企画についてだけ言えることではない。

たとえば僕自身にしても、日々の各家庭の生活よりも政治や経済にまつわる出来事のほうが重いと考えがちなんだけど、しかし人間というのは毎日の生活の中に暮らしているわけであり、そこにおいて気持ちいいとか気持ちよくないとかちゃんと感じていれば、この生活を守りたいとか、あるいはもっとよくしたいとか、そういう課題意識が生まれていく。

そこをすっ飛ばして、理想とか信念とか叫んでいても、まあ長持ちしないだろうし、それを見て見ぬふりをしてどれだけがむしゃらに働いても、一度も会ったこともないどこかのお金持ちしか喜ばないだろう。


「生活」は重く、「仕事」は軽い。


「快楽」は重く、「理念」は軽い。


「思い込み」は重く、「常識」は軽い。


だからこうやってダラダラとブログを書く時間は僕にとっては非常に重く、ここで得られた機嫌のよさをもって、人を容赦なく小馬鹿にしてくる軽薄な現実というやつを打ち倒すための強力な武器としているのである。