犬だって言いたいことがあるのだ。

ものごとをひとつ先に進めるアイデアについて考えています

すぐに気持ちよくなろうとするのは、やめたほうがいい。








僕は本当に自己中心的な人間なので、どれだけ大きなプロジェクトを手がけていようとも、どれだけそれが周囲から注目されていようとも、そしてそれが成功することでどれだけ大きなキャッシュフローを得ることが期待できようとも、自分自身の胸がときめかなければほとんど喜びを感じない。


若い頃、自分自身は何が好きなのか、どんな時に楽しいと思うのか、ということに異常にこだわってきたので、なかなかその態度を変えるのは難しいなと悩んでいたりする。

もちろんそれでは仕事にならないので、毎回自分が楽しめるテーマ、たとえば今回は前から気になっているあの男をスター的存在として起用してみようとか、あそこに出張したついでに美味しいと噂のあれを食べにいこうとか、それもなければせめて今回はちょっといいノートを買って使ってみるかとか、そういうものを勝手に設定してなんとかモチベーションを保つ努力はしている。

まあそんなことはみんなやっていることだろうけれども。




夢中になることができる時間、というものはお金や地位や他者からの評価よりもずっと価値のあるものじゃないかなと最近は思う。

人によればお金を稼ぐこと自体に夢中になることができるとても幸運な人もいるだろうけど、残念ながら今の未成熟な経済の仕組みは誰かが損をしなければ成立しない構造になってしまっているので、それでも夢中になれる人というのはたとえ損をしたとしても、それ自体も楽しめる人なのであって、そういう人は勝ちとか負けとかを超越したところにいるのだろう。

とにかく、誰だってそうだろうけど、僕だって、いつも何かに夢中になって生きていたい。

じゃあ夢中になれる時間を増やすにはどうすればいいのか。


僕なりに色んな人間を見てきて思うのは、大人にとっての夢中になれる瞬間というものは、時間をかけてじっくりと作る必要がある、ということである。


不幸なことに、おっさんは世の中にある一般的に面白いとか楽しいとか言われるようなことをある程度知ってしまっている(あるいは知ったつもりになってしまっている)。

ちょっとやそっとの刺激があっても、「ああこれってあれだよね、ふーん」という「ふーん現象」に阻まれて、分厚い皮下脂肪の奥深くに埋れてしまっている夢中スイッチまでははるか届かないのである。

そこで重要なのは、簡単に得られるわずかな「ハイ」に飛びつくのをグッとこらえて、自分が夢中になれる瞬間までのシナリオを自分なりに描くことなのだと思う。




以前、非常に幸運なことに、この人は恥ずかしいな、ああはなりたくないな、と思う方と仕事をさせていただいたのだが、その方はとにかく「自分が気持ちいいこと」を急ぐのである。

若い人なら、それでいいと思う。

どんどん前に出ていって、誰よりもさきに気持ち良くなろうとするべきで、その中で本当に自分自身が気持ちよくなれる瞬間を発見していけばいいと思う。

しかし、おっさんがそういう「誰にでも手に入れやすい気持ちよさ」を若い人にさきがけてどんどん摘んでいくのは、なんとも残念な光景だ。

その証拠にその方は、さんざん自分だけが気持ちよくなっておきながら、「あーなんかつまんねーなー」と何度もおっしゃっていた。

そりゃそうであろう、おっさんがどれだけ会心の一撃でスライムを倒してみせても、たいした喜びは得られないだろうから。




だから、年をとったら何よりも重要なのは、自分が夢中にになれるためのシナリオを描き直すことだと思う。

若い頃は、誰かが考えた物語に乗っかるだけでそれなりに夢中になれる経験を得ることができた。

しかしこれからは、自分がどこで夢中になれるか、そのヤマ場にたどりつくまでのシナリオを描き、そこで起こる自分の人生の起伏をたっぷりと楽しみたい。

また、自分が夢中になるための構成案を書く時は、展開の妙だけでなく、登場人物も重要な要素である。

自分の物語に登場する人々には、すこしでも機嫌良くしておいてほしいとも思うし、その方法を考えている時間も一つの夢中になれる時間かもしれない。


さて、そんな完璧に整備した道を行くなんて、つまらないんじゃないかと思われるかもしれないが、そこはご安心を。


シナリオどおりにうまくいかないのが、人生の醍醐味なのだから。