『なめらかな社会とその敵』を、なめらかにしてみた。





鈴木健さんの『なめらかな社会とその敵』を読み終えた。

楽しい本だった。

特に面白かった点を、Evernoteのメモから拾ってみる。

こういう時に連携機能で簡単にメモを引っ張り出せるところも、
はてなブログは本当に使いやすいなあ。


さて、僕が面白いなあと思ったこと。


*人が壁を作るのは、人間自体が細胞膜と核という「壁」からできているから

自分の生命を維持するために必要なものをとりこんで
核膜や細胞膜という壁によって守る、という行為の延長こそが
人間が家族だったり会社だったり国家だったりという
「壁」を作る営みなのだという。

だから、官僚の腐敗や独裁国家、資本主義による持てる者と持たざる者などの問題は、
壁の向こうに「複雑さ」を押し付けて自分自身を守ろうとする生命の構造上、
避けることはむずかしい。

このことを一度受け入れたうえで、世の中の問題を解決するにはどうすればいいか?を考える必要があり、
その1つとして「なめらかな社会」を著者は提案している。

僕らがこの複雑な世界をとらえるのための手段として、世の中には色んな物語や寓話が存在する。
この話もそんなストーリーの1つでしかないけれど、
すごく直感的にイメージがしやすくて、面白い。



*個人を一貫性から解き放つ

本書では、1人の人間に複数の人格を認める「分人」という概念を提案していて、
脳の仕組みから考えても、個人の主張や態度や生き方に一貫性を求めるのは無理があると言っている。
なのに一貫性を重視するせいで、世の中が硬直化してゆき、たまったストレスが暴発して紛争が起こる。

ちょっとユングの原型の話にも似ているけど、
これは、本当にそうだと思う。

政治家の失言問題なんて、それの最たるもので、
これまでどれだけ努力してきても、たった一言の矛盾のせいで
一貫性を疑われて、すべてが失われる、というのは危険すぎる。

だからみんなFacebookでは今日食べたメシの写真しか
アップしないようになるのである。

そういう意味で、僕も含めて、はてな民のみなさんはすでに「分人」である。
僕らは、はてなにおいて全ての人格を求める必要もないし、求められる必要もない。

ブログが炎上しようが、他のユーザーから嫌われようが、別にいい。
はてなでは、僕はinujinという人格を楽しめばいいのだ。
別に炎上するほど多くの人に読まれてないので大丈夫だけど。


*未来を予測するには未来を作ればいい

という考えをもとに、筆者は伝播投資貨幣という新しいお金の仕組みを提案している。

ひどく乱暴に言うと「他の人の役に立った人ほど、たくさんもらえるお金」のこと。

インターネットでは、これについてゴチャゴチャ文句を書いているものを見かけたけど
考え方はすごく面白いし、試してみてもいいのではと思った。

筆者だって、これを今すぐに現在の貨幣に代えて使うべきなんて一言もいってない。
地域通貨のように、はじめは補助的に機能させればいいだけなのだ。

最近よく思うのだけど、世の中の不幸の多くは「試しにやってみる」ということを
受け入れられないことから起こっているように感じる。

物事というのは常に試行錯誤でしか進化していかないのに、
「アリ」か「ナシ」か、みたいな議論に持っていってしまうと
いつまでも決定できずにチャンスを失ってしまったり、
話が大きくなりすぎて、多くの人々にダメージがでてきたりする。

「ちょっと試してみる」という行為がもっと当たり前になってゆけば、
僕らはもっと小さく失敗することができる。
失敗ができるというのは、人間にとって、素晴らしいことじゃないだろうか。

著者が言う「なめらかな社会」というのは、
僕にとっての「失敗がしやすい世の中」なのだと思うし、
そんな世の中を僕は大歓迎したい。

なんとなく新しい社会だったり世界の仕組みを提案しようとすると
左っぽいとかカルトっぽいとかいって気持ち悪がられるが、
それこそが、試行錯誤しにくい状況そのものだと思う。


さて、他にも本書には面白いことが色々と書かれていたのだけど、
今日はこのあたりで。




なめらかな社会とその敵

なめらかな社会とその敵