進撃の、一般人。



進撃の巨人、というマンガは面白くて、それはいま自分の身の回りで起きてることと似ているなと思うところで、自分たちがそれで稼ぐのが当たり前だと思ってきたビジネスモデルはどんどん崩されていくし、しかしそこでの働き方や生き方しか知らないから外の世界が怖くて仕方がない。

もちろんこのままじゃダメだというわけで、たまに外の世界に調査に出される人たちがいるのだが、だいたいの人はすぐに痛い目にあってひいひい言いながら逃げ戻ってくるし、運よく何かの可能性を見つけて持って帰ってこれたとしても、壁の中でじっと動かないと決めこんでる人たちとなんら待遇は変わらない。

それどころか、危険を冒して外に飛び出すのだから色々とケガもするわけだが、それについては自己責任扱いなのだ。

さて、そうなると普通の思考としては、リスクしかない外への調査に出るなんてのはありえないわけで、いかに退屈で不安で窮屈であっても、壁の内部にじっととどまることしか選択肢はないのである。

ぼくはそうやって壁の中にずっと閉じこもっていたわけだが、壁の中にいては外の世界がどのようになっているのかは全くわからない。

わからなくてもよい、という考え方もあるが、それは、どうせ外の世界のことがわかったところで危険きわまりない場所であることに変わりはない、だったら知らなくても同じだ、という仮説を持っていることを意味する。

一方で、外の世界について知りたい、という人は、ひょっとしたら外の世界のことを知れば、実はいま思っているよりも状況を改善できる可能性が何か見つかるのではないだろうか、という仮説を持っているのである。

ぼくらは見知らぬ世界に対して持つ態度は、その2つしかないのである。



見知らぬ世界は、こわい。

今の自分の能力が全く役立たないかもしれない、危険な外に出ていくのはあまりにもこわいし、不安だし、失うものがたくさんありすぎる。

ぼくは、そうやって壁の中でじっとしてきた。

しかし、もはや残された時間はあまりない。

近いうちに壁は完全に打ち破られる。

ひょっとしたら一部の人は助かるかもしれない。

だがそんな万が一の可能性に祈るよりも、少しでもマシな選択肢はないのか。


そう考えるなら、やっぱり調査に出かけなきゃいけない。

恐ろしい外の世界に出かけ、信じられないような出来事に出会い、理解しがたい価値観に触れ、視野を広げていくしかない。

まあ、そこから運よく戻ってこられたとしても、再び壁の中で暮らすことを選択するのかどうかもわからないし、戻ること自体も選ばないかもしれなくて、それは全くわからない。

しかし、わからないからといって、座して終末を待つには、まだやり残したことが多すぎる。

それよりは、進撃するほうが、まだかろうじてマシな気がする。



たとえそれが完全なる消去法だとしても。

教養は、なぜ必要か。





最近経験したいくつかの失敗について、今後のために記載しておくこと



・相手に急ぎでお願いしたいこと、今すぐ動いてほしいことは、メールやSNSなどではなく直接会って伝えるか、会えない場合は電話で伝えたほうがよい

・どうしても動かない相手に対しては、無理にこだわらず、別の人物、別の方法へと切り替えたほうがよい

・トラブルが起きている、誰かが非常に怒っている、これに対応しないと降格になる、などのネガティブな動機のほうが、人が動く場合が多い、残念ながら

・ポジティブな動機、なんていうけれども、多くの人が共通して動こうと思うものなんて「お金」とか「出世」ぐらいしかない、残念ながら

・自分自身が「面白そうだ」という動機で行動することが多いからといって、他の人々がそうだとは限らない、残念ながら

・それがわかったうえで、人に動いてもらわなければいけないときは、ネガティブな動機づけを行うことも含めて色々と手を打ったほうがよい

・当たり前だが、人に動いてもらうときは「何を、いつまで」を明確にする、意外とちゃんと伝わっていないこともある



それはそれとして、気づいたこと



・おいしい食べ物や面白い本、良い音楽、日本と世界の歴史などいった「教養」は必要だ、などというけれど、さてそんなもの本当に必要だろうかと思っていたが、やっぱり必要だと思った

・それは、明らかに役に立つ場面があるからである

・おいしい食べ物を知っていれば、それを相手にふるまうことができる

・面白い本を知っていれば、それを相手に紹介することができる

・良い音楽を知っていれば、それを相手に聴かせることができる

・歴史を知っていれば、それを相手と共有し、今いる場所を確認しあうことができる

・つまり、教養があれば、もし他に自分が何も持っていなくても、他人に提供できるものがある

・この世の中で欲しいもの、手に入れたいものがあったとき、じっと待っていたってそれは絶対に手に入らない

・かといって、「ください」と一方的にお願いしたって無理だ

・まずは自分から何かを差し出す必要があって、しかし多くの場合はそんなものなど持っていない

・しかし、教養があれば、なんらかのものを差し出すことができる

・アニメや、アイドルや、マンガなども教養になりうる場合がある

・もちろん、それを差し出したことで、相手が欲しいものを提供してくれるとはかぎらない

・でも、少なくともお互いの間に、何かしらの共通点が生まれる

・そこからは自分の腕にかかっている、しかしそこまでのチャンスならば手に入れることができる

・チャンスをつかんだら、しがみつくしかない

・ネガティブな方法であろうと、ポジティブな方法であろうと、無我夢中でしがみついて、少しでも前に進めるしかない

・とにかくじっとしていも事態は何も変わらない

・若者も、中年も、老人も、もう戻ることはできない、前に進んでいくしかない

・そのために教養は必ず武器になると感じた

・教養の本質は何か

・相手への愛だろう

・それを知ること、与えられることの喜びを共有する、それが教養だろう

・ともに知の冒険へと出かける喜びを共有する、それが教養だろう



ざっと思いついたことを書いただけなので、まったく筋は通っていないが、とにかく前に進んでいくしかない

ぼくの、こわいもの。



年をとっても、いまだに、 こわいなあと思うもの


・大きなケガとか病気

・高い所

・目の検査でピュッと空気が発射されるやつ

・車の運転

・高速道路の人の少ないサービスエリアとかパーキングエリア

・知らない人に話しかけられること

・大きなトラックとか作業車

・ゴミ収集車のバリバリとゴミを砕いていく部分

・飛行機に乗り遅れること

・新宿

・東京の満員電車

・田舎の静かすぎる夜

・見知らぬ土地に無理やり行かされること

・見知らぬ人に無理やり会わされること

・夜道で急にめっちゃでかい声でくしゃみをするおっさん


むしろ年をとってから、こわいと思うようになったこと


・収入が減ること

・夜中に出歩くこと

・家族によくないことが起きること

・国際情勢が急に悪化すること

・アジアの大気汚染が拡大すること

・ひとりぼっちで働くこと

・いまだに将来の自分の可能性に賭けようとしていていやちょっと待てもうとっくの昔にピークすぎてるやんと気づくこと

・いまやりたいことをやり残して人生を終えること

・そのときに限って妙にネガティブなブログ記事書いた直後だったりすること

・なのであんまり後ろ向きな話ばかり書かないようにと気にしすぎること

・できることが減っていく中で一生懸命取り組まずに後悔すること


結局年をとってもこわいものはこわい

しかし何よりもお金をいっぱいもらうのが何よりもこわい

ああこわいこわい