ストレスは、お好きですか。





ストレス、という言葉は、なんだか惜しい感じがする言葉だ。


もうちょっとで何かをつかめそうだったんだけど、実際には何も得ることができなかった、そういう残念な響きがする。


だから僕はストレスという言葉はあまり使わない。

疲れた、とか、腹が立つ、とかはしょっちゅう言うけれど、それはストレスではなくて「疲れている」のであり「腹が立っている」のであり、それ以外の何物でもない。


人間には、なんだかよくわからないものをいったん「なんだかよくわからないもの」のままでやり過ごす知恵みたいなものが備わっているし、たぶんストレスというのもそういう類のものだと思う。


しかし僕の場合「なんだかよくわからない、ストレスのようなもの」などというものはあまり存在しなくて、不快な感情が起こる原因が何なのかは、わかっていることがほとんどだ。

仕事でトラブルを抱えていてにっちもさっちもいかないとか、家族とケンカをしたので家に帰る足取りが重いとか、ひどいブコメを書かれて落ち込んでるとか、まあだいたい何によって自分がどんな状態になっているのかは自分でわかるので、それらをストレスなんてざっくりした言葉でひっくるめてしまっても何の解決にもならないと思っている。



知人とそんな話をしていた日に、こんなエントリを読んだ。

 

やる気が出なくなったり、落ち込んだりしたら、いろいろ試してみて、自分だけの「切り替えスイッチ」を見つけること。その上で、複数のスイッチを使いこなすこと。

 なんでもかんでも意識高く取り組んでたら疲れちゃうし、ダメだと思ったら一休み。その後、じゃあどうやってやる気を出そうか、と考え、行動に移せばいいのでさ。

気持ちを切り替える「スイッチ」を意識する - ぐるりみち。


けいろーさんは、なるべく「ストレス」という言葉を使わずに、気分転換、とか、気持ちの切り替え、というキーワードでもって、なんだか調子の良くない状態を脱出するための方法について書かれている。


そうなんだな。


気持ちの切り替え、という話であれば、すんなりと頭に入ってくる。

モヤモヤした気持ちを切り替えて、スッキリした状態でまた自分が直面している現実に向かい合うのは、わかる。


しかし自分の不調を何でもかんでも「ストレス」という得体の知れないもののせいにして、それをどう解消するべきかという方向に頭を使うのが僕は苦手なのだ。

これは別に正しいとか正しくないとかじゃなくて、ただ、苦手なのだ。



もちろん、人間生きていると、すぐに解決できる問題ばかりに出会うわけではない。

これは下手すると一生付き合わないといけないなあ、というようなテーマを抱えてしまうことだって多々ある。

だけど、それは単純に、一生をかけて取り組む主題なのだというだけであって、そこから「ストレス」なる謎の何かが発生して自分を苦しめたり不調に追いやるわけではない。

実際に自分を苦しめているのは、ああたしかにこれはストレスですね、という合意をしている自分自身なのである。


だから、自分が色んなストレスに悩まされていると思っている場合、最も簡単な解消方法は、その状態を「ストレス」と呼ぶのを止めることである。


止める代わりに他の呼び名を与えてやればよろしい。


自分は今絶体絶命のピンチにいるんだけどなぜか今日もなんとか生き延びて「幸運な夜」を迎えることができた、とか、あまりにも相性が悪い仕事相手と出会ってしまったんだけどこれはこのあと取っ組み合いの喧嘩をへて無二の親友へと変わっていく前の「友情へのプレリュード」なんだ、とかそういう「なんらかのプロセスの一部」としてとらえなおせばよろしい。

よく何やら落ちこんでいる人に対して「明けない夜はない」などと励ます人がいるけど、これは全くその通りであって、この世のすべては自分が生きている限り、少しずつ動きつづけていくのであり、状況は変わっていくのである。

変わり続けていくものを理解するために便利な方法は、物語を語り続けることだ。

以前はこんなことがあって、それがこんな風になって、それが今やこんな状態にまでなった。


そうやって、僕らは自分の人生の物語を自分で書き綴っていけばよい。


で、僕は自分大好きな人間なので、僕の人生の物語の中に、やれこの時にこんなストレスを受けたとか、それをこうやって解消したとか、なんだか得体の知れないパートが各章のあちらこちらに散見されるのはイヤなのである。


それでも、どうしてもストレスという言葉を多用したい方は、もちろんご自由にお使いいただければよろしい。

しかし僕にはどうも、あまりにストレス、ストレス、とおっしゃる方を見ていると、この人は実は「この世にはストレスというものがあって、それを解消し続けることこそが人生における最大の喜びなのである」というなんだかわかりやすいけど惜しい感じの考え方自体を、特別気に入っているのかもしれないな、と勘繰ってしまうのである。