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犬だって言いたいことがあるのだ。

ものごとをひとつ先に進めるヒントについて考えています

働くことは、どういうことか。







ルナざうるすさん(id:lunasaurus)のこのエントリを読んで

大阪・梅田LOFTで開催されている「はたらきたい展。」に行ってきた。 - 24、♀、NEET脱出(予定)

今日、近くで打ち合わせをしていたので、寄ってきた。


去年は、ブログを中心としたサードプレイスについて色々と考えていたけど、今年はあらためて仕事に対して向き合おうと思っていたところだったので、ちょうどいい機会だと思った。


糸井さんには直接お目にかかったことはないけど、仕事の大先輩であり、僕は今その仕事自体を見つめ直している時なので、それも何かのきっかけだろうとも思った。

それほど広い空間ではなかったので、展示自体は思ったよりも早く見終えた。


問題は、その後だ。


みんなが「働く」ことについて寄せ書きをしているボードを眺めていたら、たしかにルナ氏のメッセージもあった。

そこで近くのスペースに、僕にとっての「働く」とは何か、について書こうとペンを持ったところで、困った。


働く、とは僕にとって、何か。



少し前であれば、僕にとって働くことは生きることだったし、やりたいことを実現する手段だったし、ほとんど全てだった。

仕事は、僕を裏切らなかった。

他人よりも努力をすれば、それだけ何らかの成果が得られたし、何よりも自分自身が仕事を通して成長している気がしていた。

また、糸井さんのような、具体的にイメージできる偶像があった。

やればやるほど、その夢に近づいているような錯覚も持てた。

ここ数年で、その幻想があっという間に崩壊していったのは、僕が下手を打ったからなのか、情報革命のせいなのか(できれば後者ということにしておきたかったが)、どちらにしてもあんまり楽しい話ではない。


実は、僕に限らず、どうやら社畜の夢というものは、だいたいは途中で終わってしまうらしい。

行政や銀行で働いている知人たちは、もっと以前から「見えた」と口癖のように言っていて、自分が出世コースに乗っているのか外れているのかは、誰から見ても明らかなのだそうである。


イチローさん(id:yumejitsugen1)のエントリを読んで、あらためてそうだなと思った。

正社員で勤めはじめても、ちょうど40歳頃には、その企業の中での先も見えてきており、企業側からはっきりと選別される。
 そこから第2の人生を歩き始めることが、ごく普通になれば、より多くのひとの人生が輝くと思う。
 どうせ企業には中高年を高給で雇用し続ける力はないのだから、変に飼い殺しにされて人生を錆びつかされたり、突然、解雇されて放り出されるよりは、皆が一様に、40歳の定年に向けて準備をするほうが、よほど健全だと思う。

5年働いて1年の長期有給休暇。それを3セットやって、40歳で定年っていう働き方はどうだろう? - ICHIROYAのブログ

これは、僕より若い人も知っておいたほうがいいことかもしれない。



さて、そんな僕が今、「働くとは、こうである」と胸を張って言えるようなことが何かあるだろうか。

これから社会に出て活躍しようとワクワクしている若者たちでいっぱいのイベントスペースの中、夢を見失いつつあるおっさんは1人ペンを握りしめたまま、しばらく悩んでいた。


ブログを書き始めてから、1つ気づいたことがある。

僕はこれまで、何かを表現したり、それを伝えたりする方法は非常に限られていて、それを勝ち取ることが重要なのだと思っていたけど、情報革命のおかげで、「表現すること」はすごく豊かな資源となった。

この現象を僕はずっと敵視してきたのだけど、今は正反対で、ブログを書くことができるなら、別に表現の仕事自体は手放してもいいかな、とすら思える(大きな声では言えないけど)。

おまけにブログを通して、これまでは出会いたくても出会えなかった、同じような悩みを持った人や、おそろしく面白いことを書く人や、同じテーマについて議論しあえる人と、知りあうことができた。

僕がこれまで表現を通して成就したいと思っていたことの多くは、だいたいブログによって叶えられてしまったのだ。


では、これから僕は何を仕事に求めるのか。


まあお金というのはしばらくは逃げられないことだけど(これについてもまた考えていきたい)、やっぱり働くからには、いつもワクワクとした好奇心で満たされていたい。

では、どうすればそれらの感情は満たされるのか。


それは、参加することである。


人と人の関係や、取り組みや、お祭りに、メンバーとして参加すること。

とりあえず恥をかくのを大前提として知らないコミュニティの中に飛び込んでみたり、あるいは今ある関係性の中で自分の役割を新たに発見したり、あるいは誰もいない場所に何かを作ろうとすることだって、立派な「参加」である。

これは僕が今まで一番苦手としてきたことだ。

誰かからお膳立てされた席に座って、もっともらしくプレゼンテーションをしたり、面白おかしくメッセージを伝えたりするのが僕の仕事であって、汗だくで不格好に走り回ったり、馬鹿みたいにずっと立ちっぱなしでいるなんて、とんでもないと思っていた。

しかしながら、それではこの世の楽しみのほんの一部しか味わえていないのだろう。

残りは、思い切って、知らない人々や苦手な場所へと飛び込んだ時にしか得られないのだろう。


働くことは、参加すること。

僕は、そう書いた。

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これは今の僕にだけ意味がある、とても個人的なメタファー。


しかし、よく考えてみれば僕の今のブログライフだって、とりあえず1人で参加してみたところから始まったのだと思うが、さてこれを「働く」と称すべきかどうかは、また別の機会に。