どうでもいいことについて話せる場所は、ありますか。

SNSで話をするのは難しい

またTwitterのニュースを見かけた。
今度は長く利用されていない休眠アカウントを削除していくそうだ。
色々と不安定だなあと思う。
だけど、Twitterだけでなく、ぼくらの生活はもはやSNSなしには成立しづらい状況だ。

ところで、そういう大きなSNSというのはとても便利なのだが、淀川の花火大会のようにとても混雑している。
あちらこちらで誰かと誰かのもめごとが花火のように打ち上げられ、それを見物する人たちでいっぱいだし、これは稼ぎ時だと、おいしそうな料理や明日から仕事に生かせそうなノウハウやらを屋台を並べはじめる人たちもたくさんいる。
会場には色んなところに小さなステージがあって、ちょっとした有名人たちが何かを叫んでいて、見物客たちはそれを見て笑ったり、何やらヤジを飛ばしたりしている。
こういう状況の中では、ぼくらは名もなき群衆の一人でしかなくなってくる。
そうなると、突然行儀が悪くなる人が出てくる。
まるで地面にたばこを投げ捨てるかのような勢いで暴言を吐いたり、誰かを背中から攻撃したり。
そして、またもめごとの花火が上がる。

まあそういう様子を見物するのには向いているのだろうけど、とかく、誰かと落ち着いて何かについて話をするのには全く向いていない気がする。
こんな場所で何かをつぶやいたところで、誰も気づいてくれないし、気づいてくれたとしても、周りがやかましすぎて、ちゃんとした会話にはならなさそうだ。


SNS以外で話すのはもっと難しい

じゃあ、そうじゃない場所でちゃんと話せばいいじゃないか、ということになるが、どうもこれが現代社会では一番難しいのかもしれない。
日常生活の中で「Twitterの休眠アカウント制裁という話題について話したい」と思ったとして、一体どこで、誰と話せばいいというのか。
そんなことないだろ、と思う方はぜひ想像していただきたい。
今から、特定の知人や友人に連絡を取り、ちょっとTwitterの休眠アカウント問題について話さないか、と伝え、その場所(は別にオンラインでもよい)と時刻と所要時間を決め、しかるべき待ち合わせをして会って話をするという一連の流れを。
運よく、誰かがつかまって、楽しく話ができる可能性も残されてはいるが、ほとんどの場合、なんとか約束を取り付けた頃には、イーロン・マスク氏はTwitterに対して貢献をしようとしないユーザーに対するもっと効果的な制裁の方法を思いついているだろう。


■ ブログに書いておくのがマシなのでは

ということを考えると、ブログのような場所で、その時に思いついたことを書き留めておくのは、だいぶマシな方法だと思う。
運が良ければ、同じような関心のある人が読んでくれるし、もっと幸運な場合、文章に対する感想を書いてくれることもある。
ちょうど先日、池田仮名さん(id:bulldra)も「感想をブログで書いてもらえると喜びます」ということをあらためて表明されていた。
www.du-soleil.com

また、はてなグループとして参加していた「感想をブログで書いてもらえると喜びます」を、改めて表明したい。脊髄反射的ではない意見であればどのような形であれ、読みにいきたい。

というわけで興味のある方はぜひグループに参加してみてください。
そして、何か感想を書いてみてください。


■ どうでもいいことのほうが大事な時もある

どうも最近のぼくらは、すぐに役立つこと、すぐに笑えること、すぐに腹を立てられることばかりを求めるようになってしまっている。
一方で、自分自身がモヤモヤと感じていることや思っていることは、他の人にとって「すぐに使えること」ではないことがほとんどだ。
だから、ちょっとつぶやいてみたところで誰も相手にしてくれない。
で、悲しくなって、暴力的な言葉や目立つふるまいをしてしまう。
だけど、本当にぼくが求めているのは、そういうものじゃない。
ふとした瞬間に感じた「どうでもいいこと」について話せる機会なんじゃないかな、と思う。

その先にどんなことが得られるのかって?

そうやって「すぐに使えること」を急がない場所があってもいいんじゃないかな。