わからないものは、わからない。

昨日『竜とそばかすの姫』を子どもたちと観てたと書いたら、小島アジコさん(id:orangestar)から、てっきり映画の感想を読めるのかと思ったという旨のコメントをいただいて、あっバレたか、と思った。

いや、バレるとかバレないとかいう話ではないのだけど、ぼくは何かの感想を書くのがひどく苦手なのである。
この夏休みにも、子どもたちと『ONE PIECE FILM RED』を観て、その時もちょっと感想を書こうかとも思ったのだが、いざパソコンに向かってみるとまったく手が動かなくてやめてしまった。
あるいは、本を読んだ後も、ああこれは本当に面白かったから何か書きたい、ともよく思うのだが、やっぱり書けない。
でもまあ別に感想を書くのが苦手だからといって特に困るわけではないし、と自分に言い訳をしてここまで知らないフリをしてきた。
だけど、せっかくアジコさんからリクエストをいただいたので、書いてみる。
先に断っておくが、ちゃんとした感想を書ける自信はない。

そもそも『竜とそばかすの姫』は、ほんとは金曜ロードショーではもっと前に放送される予定だったのである。
ところが当日、例の日本中を驚かせた事件があって番組が変更になり、放送が延期になってしまった。
上の子はそれをいたく悲しんでいたので、あらためて放送されることがわかると、喜ぶというよりも、
「映画が始まったらうるさくせんといてな、静かにしてな」
と他の家族に事前に何度も釘を刺していた。
まるで、そうやって神経をとがらせておかないと、また延期にでもなりかねないと思っているかのようだった。

『竜とそばかすの姫』の主役は、とても若い人たちである。
四捨五入をすると50歳のぼくには、さすがに感情移入をするのは厳しくなってきた。
いや、頑張ればできたかもしれないけど、隣にまさに思春期真っただ中の人がいて、食い入るように画面を見つめている様子が目に入ると、こういう熱い感じには勝てないよな、と思ってしまう。
その代わりに、コーラスグループの女性たちや、食堂で働くおばあちゃん、主人公の父親など、周りの大人たちのほうに関心がいく。
主人公はたくさんの大人たちに見守られながら暮らしている。
この映画で一番印象に残ったのは、コーラスグループの女性たちが、主人公から幸せとは何かと聞かれるところ。
みんながなんと答えようかと戸惑っている中で、一番年輩の女性が、幸せって何かわからないわとニコニコしながら答えるところだった。

さて、ぼくなら、なんて答えるだろうなと思う。
この女性の回答以上にいい答えが思いつかない。
幸せは、わからない。
ほんとにそうなのだと思う。
だけど、それをニコニコしながら答えられるところに、本当の答えがある。

昔、師匠から、ひとつ戒めの言葉をもらったことがある。
なんでもわかると思うな。
わからない、ということが大事。

ぼくはそう言われたとき、あまりピンとこなかった。
だって世の中、みんなわかったフリをしてしゃべっているじゃないか。
プレゼンテーションの時に、わかりません、なんて言ったら絶対に仕事を取れないじゃないか。
なんでも答えられなきゃ、仕事にならないじゃないか。
そんな風に反発していたように思う。

だけどやっぱり、わからない、というのはとても大事なことなのだ。
わからないから、調べてみようとする。
わからないから、確かめにいこうとする。
わからないから、探求は終わらない。
「わからない」というのは、ぼくらに届くプレゼントのようなものだ。

今は答えのない時代だと、ぼくらはさもわかったような顔をして言う。
こんな時代に生まれた人たちはかわいそうだとか、これもまたわかったような顔をして言う人たちもいる。
だけど本当に困っているのは、これまでは答えがあると思っていた人たちだけかもしれない。
はじめから答えがない世界に生まれた人たちにとっては、それが当たり前なのだ。
彼らははじめから「わからない」世界に降り立ち、「わからない」人生を歩いている。
彼らにとっては、メタバースのような仮想空間で暮らすことも、この正解のない現実空間で生きることも、たいして違いはないのかもしれない。
ぼくは、そんな人たちと同じ時間を生きている。
そんなことを思った。

もうひとつ。
サマーウォーズ』でも『竜とそばかすの姫』でも印象的なのは、大人たちも仮想世界を普通に楽しんでいることだ。
おばあちゃんも小さい子も、誰もがもう一人の自分を楽しめる世界。
サマーウォーズ』の頃は、こういう世界が来るのはもう少し後かもなあと思っていたけれども、今回は、神経を接続するようなシステムはまだ実装されていないものの、かなり現実のできごとに近いように感じた。
それはシステムとか技術とかの問題じゃなく、感染症のせいで、誰もがオンラインでつながることがさらに当たり前になり、社会自体の仮想世界への順応が急速に進んだからかもしれない。

こういうことを考えるときに、いつも思い出すのは「WEB2.0」が喧伝されていた頃のことだ。
あの頃も、老若男女がインターネットを使うようになり、何か世の中が変わっていっているのを実感していた。
会社の年輩の人からも、こんなに時代が変わっていっているのにコピーライターなんていう古臭い仕事にしがみつこうとするなんて、お前はとんでもないバカモンや、と言われたのを思い出す。
たしかにぼくは古臭い仕事にしがみつこうとしていた。
だけど一方で、モニターの向こうで日々変わっていく新しい世界に対して、ドキドキしていたこともたしかだった。

世界は変わる。
それをぼくは、もう何度も経験してきた。
携帯電話でどこでも誰とでも連絡が取れる世界。
インターネットに接続すれば膨大な知識にアクセスできる世界。
そこで自由に行き来をし、これまでにはありえなかったような偶然の出会いが生まれる世界。
こんなにすばらしい時代に生まれてきたことは、本当に幸せだと思う。
そんなことも思った。

というわけで、予想通り、うまく感想を書くことはできなかった。
だけど、世界が変わらなければ、こんな風に誰かから映画の感想を求められて書いたりすることもなかったのだ。

やっぱり、いい時代だなんだと思う。