考えるのは、ちょっとお休み。

 

 

 

腰痛がひどい。

 

 

 

持病なので、我慢してたら治るだろうと思っていたが、痛くて夜も眠れない。

病院で飲んだ薬もすぐに効いてこないので、家事も子どもの面倒も放棄して、週末は寝てすごしていた。

痛くて眠れないから、ただ横になって、はじめはスマホをいじっていたがそれも辛くなってきたので、ひたすらぼんやりしていた。

この一年はほんとに色々あった。

色々あったせいで、いくらでも考えることがあり、いくらでもやることがあって、ちゃんと休んだことがほとんどなかった。

ああ腰が痛いなあということしか考えられない状態になってはじめて、ようやく久しぶりに休めた。

何を言ってるかよくわからないけれども。

 

これからはしばらく、あまり難しいことを考えずにやっていきたいなと思う。

下手の考え休むに似たり、と言うけど、休むのだったら、つまらないことを考えずにただ休むほうがいいし、もっといえば、人生は何かをじっくり考えて、そのあとしっかり行動して、また考えて、というようにはできていないように思う。

考えながらも行動は始まっているし、行動しながらも考えは変わっていく。

何かを企画するときも、まあはじめは机に座って考えはじめるわけだが、考えるというよりはできるだけたくさん思いつくことを書いていた。

小さな違いかもしれないが、頭の中で考えるだけなのと、書いて文字にするのでは、やはり違う。

手を動かしているうちに、さっきまでとは違うスイッチがどこかで入る。

 

まあ書くということなら、これまでも毎日のようにやっていたし、ブログもたまに書いている。

だけど、それはどちらかというと頭の整理とか、これまでやってきたことの総括をしている感じに近く、これはやっぱり行動するというより考えるのに違い感じがする。

一方で、手を動かして、思いつくことを書いてみて、そこから次の言葉が出てきて、それを頼りにもっと遠くまで進むことができて、という、綱渡りのような作業は、ああ身体を使ってるなあという感じがする。

こういう話をしているとインプットとアウトプットという話にもなりやすいが、そのどちらにも関わっている話かもしれないし、どちらも関係のない話かもしれない。

どちらかというとマラソンとか水泳とか、あるいは山登りとかに近い話だ。

いや、もっと気楽な、散歩のような。

 

どこに向かうのかとか、なんのためにやるかとか、そんな難しいことは考えず、気の向くままに歩いていこうと思う。

 

腰が痛くても、進むことができる道もあるのだ。