身体は、心配なんてしない。


今日、下の子と二人で近所の公園に遊びに行く途中、自転車で住宅街を走っていたら、どこからか猫の声が聞こえた。



それが、ゴ~ロニャ~~~~ゴ~~~とまるで絵本に出てくる猫のセリフそのまんまだったから、二人でゲラゲラ笑って、何度もゴ~ロニャ~~~ゴ~~~、ゴロニャ~~ゴ~~~と真似をして、そのたびにまたゲラゲラ笑いながら移動していた。

たくさん不安なことがある。
こんな状態でちゃんと家計が保てるのだろうかとか、これからやってくる大不況の中で生き残ることができるのだろうかとか、今の仕事を続けていて大丈夫だろうかとか、色々不安でキリがない。
いつもそういうことで頭の中がいっぱいで、目の前のものが何も見えなくなったりする。
いくら気持ちの良い青空が頭上に広がっていても、美しい甲虫が木にとまっていても、小さくてかわいい花が路上に咲いていても、心配事があるとまったく目に入らない。

だけどまあ実際は、心配しようがしなかろうが、困るときとは困るし、何も起こらないときは起こらない。
それに対して何か直接対処することができるならすぐやるべきだが、特段思いつきもしないなら、モヤモヤするだけ損なのである。
そんなヒマがあったら手を動かし、足を進め、体をしっかりと使ってやるほうがいいのだろう。
あるいはもう何もしないと決めこんで、昼寝でもしたほうがずっと有益なのだろう。

最近は、身体について考えることが多い。
自分が頭の中で考えていることをあまりに大事にしすぎて、何も行動を起こしていないなあと思う。
それよりも、身体を動かして色々とやってみる。
身体で感じ、身体で考え、身体で何かを見つけることのほうが今の自分にとっては必要なことだと感じる。
残念ながらそこにはっきりとした理由はなくて、それは身体の考えていることなのだから仕方がない。

身体の思考パターンは特殊である。
理由とか根拠とかいうものがすべて後からついてくる。
その前に先に手が動き、足が進んでいる。
飛んだり跳ねたりするときも、よし今が飛ぶべきところだから飛ぼうとか、これこれこういう理由で跳ねようとか、そんなことはしない。
理屈よりも先に飛び、理屈よりも先に跳ねるのである。

どうも、たいして賢くもないくせに、頭で何か高級なことを考えようとばかりしていたように思う。
しばらく頭には休んでおいてもらう。
しばらくは、頭を使わず、身体で考え、身体で生きてみよう。
今はなんとなくそのほうが良いように思う。


ゴ~ロニャ~~~ゴ~~~。