世界に、ハローと言う。

 

 

 

わが家ではなぜかビートルズが流行っている。

 

 

 

きっかけは、上の子と一緒に、村上春樹さんがDJをつとめる『村上RADIO』を聴いているときに、ビートルズの特集をしている回があったことで、それからぼくの持っているCDを引っ張り出してちょっと聴いてみたら、なぜか下の子も気に入ってしまって、以来、風呂でも大声で歌っている。

今週は下の子も小学校に何度か登校したのだが、その帰り道にもビートルズの曲を口ずさんでいて、一緒に帰ってくださっている先生に、なんでそんな歌知ってるの?とびっくりされていた。

『村上RADIO』のおかげで、久しぶりに色んな音楽を聴くことができた。

村上さんの文章には、読むと自分もつい文章を書きたくなってしまうような力があるが、彼が選ぶ音楽にもやっぱり、おおこれなら俺もいい曲を知ってるぞ、と言いたくなってしまうような力がある。

 

最近は、たくさんの若い人たちと話す機会があって、そこで彼らの、世の中を少しでも楽しいものにしたいという気持ちがこめられたアイデアたちに触れて、とても元気をもらった。

不要不急の逆襲がはじまるぞ、と思った。

そりゃまあ医療やエネルギーなど誰がどう見ても必要なものを提供している人は、自分のやってることが正しいかどうかを疑うこともないかもしれないけど、そうじゃない人間は、そもそも自分のやってることが不要不急なことだという前提に立たざるをえない。

極端にいえば、自分が世の中に必要とされていないことを知っていて、それでも生きていかないといけないことを自覚せざるをえない。

だけど、それを承知の上で、自分たちの存在意義をああでもないこうでもないと試行錯誤しながら作っていくしかない。

 

ハートは強くなくちゃいけない。

自分のやっていることをバカにされたり、不要不急のレッテルを貼られたって、どこ吹く風と笑いとばし、この世に生まれてきた意味を全身全霊で作っていける、強いハートが必要だ。

だけどそのハートは同時にとってもやわらかくて、他の人たちのハートに共鳴し、ときには熱い思いに影響を受け、ときには嫉妬の炎に焼かれ、それでもやっぱりやわらかく、いろんな人のいろんな気持ちをそっと感じ取れるようにしておかなくちゃいけない。

ひょっとしたら、何か他にも大切なことを忘れているような気もするが、今はまだ思い出せずにいる。

でもまた思い出すだろう。

 

村上春樹さんはラジオ番組の中で、"You've Got To Hide Your Love Away"の邦題が『悲しみはぶっとばせ』となっていることに触れ、そうか、ビートルズは色んなものを片っ端からぶっとばしていたんですね、と言っていた。

ビートルズの音楽は、別に破壊的でも攻撃的でもなくて、誰にでも聴きやすく、楽しくて、やさしい。

とても、世界を片っ端からぶっとばしてきたようには思えない。

だけど、きっと世の中をすっかり変えてしまうようなものというのは、そういうものなのだろう。

 

世の中は、いま何とか元の形に戻ろうと必死になっているように見える。

そして時間の経過とともに、少しずつ、人々は以前のような暮らしへと戻り、まるで何事もなかったかのように毎日を送るようになるだろう。

それでも実際は、色んなものが、元に戻ることなく、ぶっとばされっぱなしになるのかもしれない。

リモートワークを余儀なくされた結果、満員電車の中で窒息しそうになりながら通勤しなくてもいいんだと気づいたこと。

休校になった子どもたちと一緒に家に押し込められたことで、そもそも学校って何のために行くんだろなと疑問を持ったこと。

自由な時間がほとんどない生活を送ってきたことで、本当にやりたいことだけに残された時間を使いたいと強く思ったこと。

自分のできることをもがきながら探したことで、力を貸してくれる人は毎日通っている職場以外にもたくさんいるのだとあらためて気づいたこと。

どれも、破壊的でも攻撃的でもない、取るに足らない個人的な気づきでしかない。

だけど、それらはぼくの中の、どこかで気づいていたけれども見ないふりをしてきた都合の悪い何かを、確実にぶっとばしていった。

 

きっと、もう元には戻れない。

 

多くの人は、辛くて苦しかったこの期間に、グッバイと言う。

ぼくは、これからも続く、辛くて苦しくて、そして愛しい世界に、ハローと言う。