違和感を抱えながら、歩く。

 

 

 

おかしいな、違和感があるな、と思うことはたくさんあって、それと同じくらいの回数、ぼくは違和感に気づかないフリをしている。

 

 

 

そのほうが物事がうまくいく場合が多いし、自分にはもっと優先順位の高いことがいくつもあるからだ。

実際に一つ一つのことを気にしていたら、何も前に進まないし、色んな人に迷惑をかけることになる。

 

だけど、よく思う。

本当はいちいちそういった違和感を大切にして、いちいち立ち止まって、いちいち悩んでいられたら、どんなに有意義な一日になるだろうと。

違和感を、違和感のまま横に流して、そのスピードや量を自慢したところで、自分の中には違和感流し屋としての経歴がまた増えるだけで、それ以外には何も残らない。

何かをやった気になって、ヘトヘトになりながら帰宅して、モヤモヤとしたものを抱えながら浅い眠りにつき、また翌日から必死にあらゆる矛盾、混沌、無理、思考停止といった得体の知れないものを手際よく梱包し、しかるべきところへと送りつけ、返品や交換の話が出るたびに荷主側のせいにして、しかし実際に一番叱られるのは自分たちで、そのたびに身体の中の何かをちょっとずつすり減らしていく。

 

いつのまに、ぼくは自分の中の違和感を押し殺し、タフなフリをするようになったのだろう。

そんなものは、本当にタフな人間のために用意された仕事であって、自分には全く向いてないのに、なぜ自分を騙して生きるようになったのだろう。

 

だけど、理由は、もうどうでもいい。

残りの人生は、今まで知らないふりしてきた違和感の借金を、少しでも返していきたいと思う。

もう今後なんの成長も期待できないぼくだからこそ、王様はハダカだ!と言えることもあるだろう。

 

見えないフリ、聞こえないフリ、気づいてないフリをやめる。

 

粗雑に扱われ、ボコボコになって、すっかりすり減った自分の感覚を、これからはいたわり、大事にしてやりたい。

 

それが、これまでの人生で、自分の感受性を虐殺し続けてきたぼく自身に対するささやかな報復なのだ。