幸せは、すぐに失われる。

 

 

 

昔から、すごく楽しいことがあっても、どうせこの時間はすぐに失われてしまうだろうと頭のどこかで思っていて、実際にそれはすぐか、あるいはそんなにすぐではなくても着実に失われていったので、その度にやっぱりそうなのだという認識を強め続けてきた。

 

 

 

だからなのか、現状を守るとか、少しでも今の幸せが長く続くように努力するとかいう発想が苦手なように思う。

 

最近まで、自分はひどい停滞の中にいて、一体何をすれば道が開けるのかさっぱりわからずに苦しんでいたのだが、ある人に、あなたは今十分に幸せだと思うと言われ、そんなわけはないだろうと反発した。

 

しかし、やっぱりぼくは十分に幸せだったのだろう。

 

幸せだからこそ、現状のままではいけないと焦っていて、家族の将来が心配で、しかし自分自身のキャリアも中途半端なままで年老いていくのが怖くて、新しい一歩が踏み出せずに、時間だけが過ぎていくのを指をくわえて見ている、そういう自分が耐えられなかった。

 

幸せの渦の中に突っ込んで、そこでしか体験できないものを存分に味わうことなく、その周囲をそわそわ、そわそわとしながら歩き回っていた。

 

ぼくは今でも、幸せなんてものはすぐに失われてしまうと思う。

 

だからこそ、それが幸運にも近くまでやってくることがあったら、そいつに頭から突っ込んで、たっぷりと楽しめばいいのだ。

 

ぼくはぼくの生きてきた時間の総体として存在している。

 

だったら少しでも幸せな時間で多く構成されたいし、まあそこにそれなりに不幸な時間も混じっていたほうが、ピリリとスパイスが効くというもんだ。

 

しっかり楽しんだらええやないの。

 

ええかっこせんと、うれしいことには素直に喜んだらええやないの。

 

そんな感じで、今はほんの少しだけ、自分の停滞から抜け出しつつある。