ここのところずっと妙だなと思っていること)
・最近、誰もがマーケティングとコミュニケーションに関する話ばかりをしているような気がする
・多くの人が、何をすれば儲かるのか、何を発信すれば注目されるのか、そういうことばかりを話している
・そういう人はだいたい熱心に語り合っている
・ブログでどうやれば儲かるのかという話で盛り上がっている人たちもそうだ
・一億総クリエイターであり、一億総マーケターである時代はとっくに到来して久しいのだ
・それこそは情報革命がもたらした社会の進化であり、メディアの解放によって、インターネットどころかこの世界のほとんどすべてが、人々が自由にものを売り、情報を発信し、顧客を得られる場所として解放されたのだ
・もしそうであるならば、もはや誰もがじっとしていられず、さっさと今の、くだらない人間関係に縛られて苦しみ何のためにやっているかわからない雑務に追われ続ける今の職場を離れ、自由にメディアを使い、自由に発信を行い、自由に顧客を作るようになり、この世のさまざまな企業はどんどん消滅していくはずだ
・しかし実際はそれほど過激な出来事はまだ起こっていない
・いかに自由にメディアを使うことができても、企業の社員として安定したサラリーを得られることを簡単に捨てられるわけではないのだろう
・あるいは決して今の環境に大きく不満があるわけじゃないのだろう
・もちろんぼくもそうである
・その結果、みんなマーケティングとコミュニケーションの話について「熱心に語り合っている」が、語り合うだけで何もしない
・何もしないうちに、見えない部分で何かが大きく進行しているように感じる
・ぼくがこのようなブログを書いているあいだにも、だ
・一体情報革命によってもたらされる進化とは、誰のための進化なのだろう
ひょっとしたらと思うこと)
・解放されたメディア、解放された世界は、ひょっとしたら人間のためのものではないのかもしれない
・情報革命によって大きく変わったことの一つは「すべてが目に見えるようになった」ことだ
・ぼくが休日に家事をサボってこのようなブログを書いていることも、どこかの国の中心人物が重大な意思決定を下したことも、インターネットを通して見ることができる
・果たして中年サラリーマンのくだらない息抜きと世界を揺るがしかねない重大事実を両方とも同じぐらい重視する人間なんて存在するだろうか
・しかしインターネット、あるいは世界中に張り巡らされた情報ネットワークにとってはどちらも平等な「データ」としての意義があるのだ
・情報ネットワークはこの2つのデータをどちらも誰にでも「見える」ようにする
・それだけでなく、中年サラリーマンのどうでもいいブログ記事と世界の重要人物による声明のどちらが注目され、どちらが重視され、どちらが人々の生活に影響を与えるかも見えるようにする
・情報ネットワークは、その事実を明らかにするだけだが、人間はその明らかにされたものを判断材料として、中年サラリーマンの駄文と重要人物の声明のどちらを重視するべきなのかということを決めるのだ
・情報ネットワーク自体に意志はない
・そこにあるのはぼくらの選択だけ
・ぼくらは「他の人間がどれだけそのデータを重視しているか」「話題にしているか」「ヒットしているか」ということだけを手がかりにしてそのデータを閲覧し、考えたり、行動したり、拡散したりする
・その事実をまた情報ネットワークが吸い上げて「見える」ようにして、それをもとにぼくらはまた新たなデータの取捨選択を行う
・ぼくたち人間、あるいは人間社会というものを通してデータが出たり入ったりしていくうちに、そのデータ構造は変化し続けていく
・データは人間だけでなくこの世のさまざまな事象の中を通過し、ネットワークへと吸い上げられ、新たなデータが提供されることで、世界の形は変わり続けていく
・繰り返すがそこに何かの意志があるわけではない
・ただ情報ネットワークを通して、世界のあらゆることが見えるようになり、それに対する優先順位がつけられ、淘汰が行われ続ける、それもものすごいスピードで
・人間という存在は、そのような世界におけるひとつの要素にすぎない
もしそうであるならば)
・人間にできることは「こちらのほうが望ましい」と思うほうの情報を、自分で考えて選択していくことぐらいじゃないだろうか
・しかし「自分で考えて」というけれど、考えれば考えるほど「何が自分にとって大事なのか」が判断の基準になるだろう
・だがその判断の基準を「金儲け」「貯金」などのわかりやすい指標に設定しないほうがよいように思う
・いずれも簡単に「データ」にすることができるからだ
・データに変換された瞬間に、それは情報ネットワークへと吸い上げられ、処理され、その最適解が全員に提示されてしまう
・つまり「自分で考える」必要がなくなってしまうのだ
・では「自分で考える」べき、自分にとって「望ましい」もの、とは一体何か
・その答えは、その人の数だけ違う
・むしろ「望ましいもの」がみんな共通しているならば、人間の存在など、情報ネットワークにとっては何のうまみもないのだ
・ヒットした情報が一番良い情報であり、話題になった情報が一番重要な情報であり、炎上した情報が一番悪い情報なのだと何も考えずに受け入れる人というのは、情報ネットワークにとっては、固有の動きを示す一人の人間ではなく「何かの塊のひとつ」でしかない
・ではどうすれば自分にとって望ましいことを自分で考えて取捨選択することができるようになるのか、正確な答えはぼくにはない
・ただ「孤独」という言葉が役に立ちそうだという予感がある、その程度だ