来なかった人は、必要か。


行くのが面倒だなと思ってる集まりにいやいや参加した時にかぎって、「今日来なかった人はもったいないことしたよね」なんてことを自分が言ってることがあって、この心の動きはなんだろな、と思う。


今日来なかった人は損してるよね、自分たちはラッキーだよね、たくさん得るものがあったもんね、という気持ちが全くのウソでもなく、無理やり言い聞かせているとも限らず、実際に本人はそう思ってたりする。

不思議なのは、参加者たち自身で「今日は来てよかったな」と勝手に思っていればいいだけなのに、なぜか「来なかった人」を引き合いに出してしまうところだ。

それは「ひょっとしたら今日来なかったかもしれない自分自身」との比較をして選択の正しさを納得するプロセスであったり、あるいは身内意識を高めるためなのかもしれないが、とにかく不思議な行動である。

しかし、ぼくに限って言えば、いずれにしても「やっぱり来るんじゃなかった」と思いたくないのかもしれない。

やっぱり来るんじゃなかった。

嫌な言葉だ。

来てもしょうがないとわかっているのに、自分で間違った行動を起こしてしまった、と思うと、これは誰のせいにもできない。

他人にそう思われるのは、なおさら辛い。

だからつい「来てよかった」だけでは足りずに「来なかった人はかわいそう」という文脈を作りたがるような気がする。

だけど、できることなら他人をダシにすることなく、自分で自分の選択に「やっぱり来てよかった」と納得していたものだな。


やっぱり。