言葉に関わる仕事をしているくせに、自分がこれからどのように働いていきたいか、あるいはどのように生きていきたいかを、具体的な言葉にするのはむずかしいなと思うことがある。
何かを言葉にしてしまった時点でそれ以外の可能性を切り捨ててしまう気がするからだ。
たとえばある業界のナンバーワンを目指す、と言ってしまうと自分の活動範囲をその業界内だけに制限してしまうかもしれないし、ナンバーワンというポジション以外への価値を無視するようになるかもしれない(極端な話だけれど)。
実際は他の可能性や価値観についても検討していたり理解を示していたとしても、そういったものは他人には伝わらない。
そんなわけでついぼくらは過剰なまでに饒舌になったり、極端に無口になったりするのである。
言葉は、ある内容を、他の内容と区別するために使われる。
言葉で何かをすくい上げたとき、そうではない何かを切り崩してしまっているのだ。
ひょっとしたらもっとうまいやり方がコンピュータ言語などのあたりから生まれるかもしれないけれど、残念ながらいまのところ、言葉というとても不完全な方法で、ぼくは自分の未来を描こうとする。
まったく、ひどい話だ。
しかし一方で、未来というものはどんな方法であっても、不完全にしか表現できないのかもな、とも思う。
未来に対してできることなんて、ほとんどない。
実際は何の効力もない約束をすることと、それに向かって行動することくらいだ。
もちろん何の約束もせずに行動し続けることもできる。
約束なんて簡単に破ることができるし、内容を変えることだってできる。
大切なのはそういうことではない。
新たに何かの約束をすることは、これまでには進んでこなかったような道を自分で(あるいは誰かに触発されて)選ぶ、という行為だということだ。
もちろんその道は他人から見ればこれまでの道と何にも変わりはしないかもしれないけど、しかしここまでやってきたのとまったく同じ道なんて存在しない。
あるとしたら、そう、思いこんでいるだけだ。
ぼくらはいつも、何にもそこにはない場所を、勝手に歩き散らし、まるで道があるようにふるまってるだけだ。
そこで大切なのはたったひとつ、自分がどこかへと進んでいるという仮の設定だけだ。
だから、これからも、ぼくはひどく不完全でクソみたいな言葉を使って、他のあらゆる素晴らしい可能性を乱暴にぶった切りながら、未来への約束を書いていこうと思う。
それ以外に、この世界を歩いていく方法が見つからないからだ。
言葉は、未来への、永遠に果たすことのできない約束だ。
それを少しでも果たそうとして行動が起こる。
その無限の繰り返し作業じたいをぼくらは道と呼ぶのだろう。
ゴールなんて存在しないこの道は、ぼくが生きてるかぎり、続いていく。