この世で一番、ぜいたくな遊びとは。




どんなことでも石の上にも三年だなあ、なんてことはまったく思わない。



それは環境の変化というものがこれまでよりもずっとゆっくりとしていて、三年ぐらい同じ場所で停滞することが許容されていた時代においてしか通用しない言葉だ。

情報革命と人口爆発が同時に起こった後の世界において、石の上にも三年、なんて言葉はひどく時代遅れで、まったく実用的ではない。

少子化による労働力の低下と高齢者への負担に苦しみ、世界中で起こっている新しいアイデアを生み出す競争についていくだけでいっぱいいっぱいのこの国において、そんな余裕はほとんど残されていない。

だけど、だからこそかもしれないが、ぼくにとってそれはとても魅力的な、憧れに近い意味合いを持つようになった。

何かひとつのことについてじっくりと取り組むことができるというのは、それ自体が素晴らしい価値だと思う。

1つのテーマについてなかなか入手できない情報を懸命に集めたり、それを見ながらああでもない、こうでもないと悩んだり、あまりにもわからないので先達に教えを請うのだけれども余計にわけのわからないことを教えられて混乱したり、そうやって自分なりの答えを手に入れようとしている時間。

その全てがぼくにはキラキラと輝いて見える。

学生の頃は、そういうことの面白さにあまり気づいていなくて、むしろ早く働きたいと思っていたし、もちろん働きはじめるとやることはいくらでもあって、仕事以外の何かに継続的にうちこむなんてことは「逃げ」だと思っていたし、仕事に関しての勉強にしても今すぐに使うことができないことを学んでも「無駄」だと思っていた。

しかし「逃げ」とか「無駄」なんてことは、本質的な話には一切関係のないことだ。

それが自分の好奇心を満たしてくれるかどうか。

残念ながら、そういうものに腰を据えて取り組み続けられるような余裕はぼくには全くない。

けれども、そんな贅沢な時間を少しだけでもすごせるチャンスがあれば、たっぷりと楽しみたい。

続くかどうかとかは関係なく、しっかりと味わいたい。


そんなことを、こーさんのブログへの想いを読みながら思った。

ブログ書けない病への処方箋出しておきます。 - いずれも。