人と人とのあいだに静かな熱が生まれることがある。
それは燃え上がる恋のような激しさもなく、血の気の多い人たちが集まって勇猛な雄叫びを上げる時のような派手さもない。
じんわりと、人から人へと伝わるつつましい熱だ。
じんわりと人に伝わって、その人のくすぶっている魂をそっと温め、ここから立ち上がる勇気と行動力を与えてくれる、ささやかな熱だ。
ぼくはそんな熱を帯びている人たちを何度も見てきた。
彼らはお互いを尊重しながらも、おかしなところがあったらはっきりと意見を言い合い、時にケンカもしながらも、まるで示し合わせたかのように、同じ方向を目指して進んでいく。
そして、失敗を繰り返しながらも、誰の目にもわかるような目覚ましい成果を上げ続けるのだ。
しかし、それを少し離れたところから見ているぼくには、彼らがなぜ、同じ道に向かっていけるのか、なぜ、困難を乗り越えていけるのかが、わからなかった。
他人から見たらどう見てもつまらないことにこだわり続けていたり、単調極まりない作業にも飽きずに取り組み続けている彼らのモチベーションが一体なんなのか、さっぱりわからなかった。
そこでぼくはそういう人たちを、敬意をこめて「あいつらは変態だ」と呼ぶことで、嫉妬と憧れが混じったモヤモヤした気持ちを整理していた。
しかし、ぼくはこんなに年をとって、ようやく気づいた。
彼らは、いつだって、あの静かな熱を共有していて、それが生み出すほのかな光に導かれるままに、進んでいたのだ。
だけどそれはあまりにささやかなために、同じ熱を帯びている者同士でしか感じることができなくて、おまけにそういう人たちは自分たちの都合がいいように新しい仕組みや段取りを作っていくのが常なので、近くにいる人間でも、そのシステムなり手法しか目には見えず、それが彼らの秘密のすべてだと思ってしまうのだ。
「ヒットする××のコツ!」という種類の読み物があまり役に立たないことが多いのは、そういう目に見える部分だけを観察して記述したものだからである。
肝心の、あの静かで、しかし人と人を強固に結びつけ、何かにとりつかれたかのように同じ方向へと突き進むようにそそのかす、不思議な熱の起こし方については、まったく書かれていないのだ。
だが安心してほしい。
その方法はいたって簡単だ。
自分で熱を起こせばいいのだ。
まずは火種を探す。
自分が一番大切にしていることや、ドキドキすること、ワクワクできること。
そして、なんとか火がつかないかと、あれこれ試してみる。
1人ではどうもうまくいかなさそうなら、誰かに助けを求めてみる。
本当にそれがワクワクできることなら、きっと同じように面白そうだと思える人が手伝ってくれる。
そうやって、一緒に火を起こそうとしているうちに、だんだん身体が温まってくるので、気分がよくなってきて、またあれこれと動いていると、どんどんアイデアを思いつけるようになってきたり、全身から妙なエネルギーがわきあがってきたりする。
それが、静かな熱の正体だ。
ぼくは思うのだけれど、大きな会社組織や、誰もが憧れるスーパースターたちの存在も、きっと、誰かと誰かが起こしたささやかな熱がきっかけとなって生まれたものなのだ。
運や才能や努力や成功を支えるシステムも必要かもしれないけれど、本当に大切なものは、自分と、そのすぐそばにいる人たちとのあいだでしか感じることのできない、つつましくて、しかし力強い熱だ。
ぼくは、そんな熱を感じあえるぐらいの距離で、人と触れ合っていきたい。
近すぎず、遠すぎず、お互いにライバルとして競いあい、おかしいと思うことははっきりと伝えあい、だけどそれぞれが見つけてきた特別な知恵を惜しげもなく分けあって、胸の中の静かな熱が放つ光に導かれるままに、歩いていきたい。