若い頃はたくさん遊びなさい、という助言をもらったことがある。
今になって振り返ってみると、まあ人並みには遊んできたかなとも思うのだけど、最近は、どうもこのアドバイスには続きがあるような気がする。
若い頃はたくさん遊びなさい。
たくさん遊んで、色んな遊び方を教わりなさい。
この遊びは面白かったなあ、なんでこんなに興奮したんだろうなあ。
あの遊びはつまらなかったなあ、なんであんなに退屈だったんだろうなあ。
そういうことをちゃんと感じる練習をしなさい。
そうやって、自分の心はもちろん、他人の心がどういう動きをするのかを、しっかり学びなさい。
とまあ、そんなことだと思う。
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仕事をしていると、いちいち感受性を削られる出来事ばかりだ。
生き残るために必要なのだという最終兵器を常にちらつかせられて、理不尽な要求を飲んだり、飲ませたりする。
とても生身の自分ではやっていけない。
だから僕は繊細に物事を感じ取る姿勢をさっさと放棄して、務めて鈍感になっていった。
しかしそれじゃあ、そのあとに世の中で「遊び」と言われるものを楽しんだって、何も得られるものはない。
どうも僕はこれまで無駄な遊びをしてきただけじゃないかなあと思うことがある。
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遊びとは何か。
それは、本気でやることだ。
本気で傷ついたり、本気でうれしくなったり、本気で悔しくなったりする。
そういった感情をちゃんと自分のものとして感じ取り、味わい、心の引き出しに丁寧にしまうことだ。
「生き残るために必要なこと」なんかに負けずに、ちゃんと生きる喜びを感じる経験を積み上げていくことだ。
ああ、一生遊んで暮らしたい。