小学生の頃、そのエロに対する造詣の深さでクラスの男子から一目置かれていた子が、言っていたことを、今でもよく覚えてる。
「恋愛において大事なのは、小学生では顔、中学生ではカラダ、高校生ではココロやねんで」
なんだかすごくオトナな話を聞いたと思い、僕は彼の話を「ほおおおお」と興奮しながら心のメモにしっかりと書き残した。
しかしどうもオトナになっても、僕は高校生どころか小学生のまましばらく止まっていた気もするし、世の中、スーツを着た小学生や中学生だらけな気もする。
別に僕はそれを否定したいわけじゃない。
ただ、最近は人を好きになるってどういうことだろう、と考えることが多い。
そんな時に、ミーア猫さんの素敵なエントリを読んだ。
男がどうとか女がどうとか考えていたら、そりゃモテないなぁと思うんです。心惹かれる時は、男は~女は~なんて関係なく「相手にとってどんな存在になれるか」だけじゃないかと思うのですが。
「抱かれたい」と、心が疼く文章に出会った。 - 夜の庭から
本当にそうだなあ、と思う。
で、加えて思うのは、世の中に「好きになってもらう方法」みたいな話はあふれているのに、「好きになる方法」について聞く機会のなんと少ないことか。
僕は思う。
人を好きになるには、それなりの訓練が必要なのだ。
もちろん、その一つに、実際に色んな人と出会って交流を深めて、その中で、PDCAを回していくという実地訓練もあるとは思うけど、それをあまり頻繁にやってしまうと、「この人は自分に合う」「合わない」という結論へと急ぐクセがついてしまうので、あまりおすすめできない。
このクセが一度つくと、本当はもっとその人のことを好きになれるチャンスがあることに気づかず、また、自分自身の観察眼がどんどん曇ってくる。
もっと丁寧に、自分がどうやって人を好きになっていくのか、そのプロセスを知り、そしてできるだけたくさんの人をその過程の中に包み込むことができないか、考えて、工夫をしてみることだ。
もちろん、その方法や組み合わせは、その人の数だけある。
ただ、これはまあまあ有効じゃないかな、と思うことを1つ。
それは、相手と自分との違いに注目すること。
一見、なんの変哲もない平凡そうな人であっても、その人は、きっと自分とは違う何かを持っている。
それをじっくりと、時間をかけて探すのである。
ここで重要なのは、その探し物は、好ましいものとは限らないということ。
弱点でもいいし、矛盾点でもいい。
そして、それが見つかったら、なぜ彼彼女が、それを獲得するようになったのか、そしてなぜ自分はそこに注目したのかを色々と想像してみる。
そして、もう一度その人を観察して、自分の仮説が合っていたかどうかを確認してみる。
これを繰り返しているあいだに、いつのまにか自分がその人にひどく関心を持っていることに気づく。
そこからが、二人の物語の始まりなのだ。
さて、もし僕のこの考え方と自分の意見が違うと感じる方がいらっしゃったら、ぜひ、その違いはどこから生まれているのか考えてみてほしい。
それが、僕らの物語の始まりだから。